オ・ジョンヒ『金色の鯉の夢』

金色の鯉の夢―オ・ジョンヒ小説集 (現代アジアの女性作家秀作シリーズ)

金色の鯉の夢―オ・ジョンヒ小説集 (現代アジアの女性作家秀作シリーズ)

 

 1947年生まれの韓国の女性作家、オ・ジョンヒ(呉貞姫)の作品集。「中国人町」(79年)「不忘碑」(83年)「金色の鯉の夢」(94年)の三篇を収録。
 何かを調べていて「中国人町」という題に行きあたり、韓国華人の話だろうかと手にとってみた。
 訳者あとがきによると、仁川(インチョン)は江華島条約に基づき開港、中国租界もあり、そこに住んでいた中国人たちは戦後もとどまっており、隣の旧日本租界もまとめて中国人町と称されていたのだという。最近は観光振興でチャイナタウンとして再開発が進められているようだ。
 主人公は北から家族とともに「中国人町」の払い下げられた日本家屋に引っ越してきた少女。隣り合って暮らす中国人たちには、大人は関心を払わず、商店に肉を買いに行くとき程度の関わりしかない。しかし子供たちにとっては中国人は「かぎりない想像と好奇心の酵母」だ。中にひとり、若い中国人の男が主人公をじっと見つめ続けるが、二人の間には視線のやり取り以上の関係は生じない。少女の母は妊娠しており、親友のチオギの家の二階はパンパンのマギー姉さんが間貸りしているため、彼女も女であることについて早くから意識することになる。六年生になってぐんと背の伸びた彼女は、母の出産の日、例の中国人に手招きされ、「中国人たちが節句のときに食べる三色の着色料を入れたパンと、龍の模様がついて小さな橙」の紙包みを手渡される。そして母が子供を産み落とすと同時に、彼女も初潮を迎えるという、一貫して女の身体を意識した筆致だ。大人の男として登場するのは、マギー姉さんの恋人である黒人兵だったり、この一言もことばを発しない中国人だったり、コミュニティーの外側の存在で、同級生や町内の若い者といった韓国の男がほとんど姿を現さないところが気になる。
 「不忘碑」は日本統治期の港町・海嶺(ヘリョン)が舞台。主人公は小学生のヒョンドという男の子だ。クル病の同級生、シンちゃんの家によく遊びに行くが、身体が弱く早世を予感している日本の少年とその家族に対して、友情というより支配欲や勝利感を覚えている。シンちゃんは身体が弱い上にほかの日本の子供たちからは相手にされず、友達と呼べるのはヒョンドのみだったのだ。やがて日本の敗戦により、植民者と被植民者の関係が一転、日本人の家は略奪の対象となる。父を亡くした母子二人がひっそりと暮らすシンちゃんの家もめちゃくちゃにひっくり返されていたが、思いがけないヒョンドの来訪に母は貧しい昼飯を供してもてなそうとする。しかしヒョンドは、神棚に残された童子人形をひったくって家を後にする。それは長寿の祈りをこめてシンちゃんの名前をつけ、大切に祀られていた人形であり、ヒョンドもそれを聞かされていたのだった。シンちゃんの母は後に物乞いまでするようになるが、ヒョンドは見てみぬふりをする。しかし日本が敗れたことによる地位の逆転は、網元の家で工場を経営していたヒョンドの一家にも及ぶ。おまけに報国隊に加わって日本に行っていた叔父は、広島で被爆し、帰郷した時には痛みを抑えるために一日たりとも阿片なしでいられなくなっていた。結局一家は、金日成が海嶺にやって来た日、叔父を見捨てて38度線を越えて南に逃げることになる。すべてを見ていたのは、戦乱と干魃の集結を記念して遠い昔に四つ辻に建てられた〈不忘碑〉のみだった。三編のうち、この作品の主人公だけが男の子だが、一家が船出する終盤ではヒョンドの母に視点が移り、胎動を感じるところで物語の幕が閉じる。妊娠・出産が物語を貫くモチーフとして三編に共通している。
 表題作「金色の鯉の夢」は主婦が主人公。母の出産で幕を閉じる「中国人町」とは対照的に、多産の母の最後の出産が冒頭に描かれる。主人公には夫と高校生の息子がいて、家を買い換えたときに新しい家の入居開始まで間があったので、仮住まいとして購入したマンション*1を引越し後もそのまま所有し続けている、というのだから裕福な部類に入るのだろう。かつての恋人の訃報を新聞で目にしてから、主人公は鏡に顔を映す。その瞬間、「長い歳月慣れ親しんだ慣習と慣行が、一瞬にしてこわれた顔」をみとめ、自分の中のなにかが死んだことを知る。前半は主婦としての日々の暮らしが描かれるが、後半では彼女の人生を彩る記憶の風景が、少しずつゆらゆらと現れる。金色の鯉が住むと言われた古井戸、近所の没落した一家が所有する豪邸「蓮池屋敷」、いずれもかつての面影を留めることなく移り変わってゆく。蓮池屋敷が取り壊された日、亡くなった恋人の電話番号をダイヤルし、その番号の持ち主がついに新しく変わったことを知る。
 その電話の後、主人公は木に登り、太い幹に足を絡めてすがりつき、オルガスムスに達する。何の樹だか描かれていないが、紫の桐の花が見えるとあるので桐なのだろうか。張貴興『象の群れ』のラストで、主人公の少年が木棉樹の枝の上で樹と交合するかのようにマスターベーションするという場面があったのを想起した。変わりゆく人の世界に対し、変わらぬ自然との合一を暗示するこうした仕草が、韓国とボルネオという全く異なる土地を舞台とした作品で共通するのは興味深い。

象の群れ (台湾熱帯文学)

象の群れ (台湾熱帯文学)

 

*1:韓国の場合、賃貸でも家賃は月払いではなく保証金として最初に半年分とか一年分とかを支払い、退去時に返還してもらうというシステムなのだそうだ。李良枝の『由熙』にあったけれど、大家はその保証金の利子でもうけるのだとか。だから保証金と購入代金に差がないという事態が起こりうるのだろう。