戸田郁子『中国朝鮮族を生きる 旧満州の記憶』

中国朝鮮族を生きる――旧満洲の記憶

中国朝鮮族を生きる――旧満洲の記憶

 

 私が中国東北で暮らしたと話すと、まるで秘密を打ち明けるように、「実は私、満洲から引き揚げてきたんです」と打ち明ける人がいる。自分の暮らした場所を訪ねてみたいけれど、やっぱり行かれないと静かに目を伏せる人もある。その痛恨を慮りながら、私は乞う。教えてください、どうかあなたの記憶にあるその時代の匂いや色や音を、私に話してくださいと。そして集めた話のモザイクを、私は心の中でつなぐのだ。(116頁)

 自分でその場所に足を運び、直接会って話を聞く中で、中国朝鮮族の人々が旧満州時代から現在に至るまでをどう生きているかを描き出した本。著者は83年に韓国に留学し、それから89年には中国・ハルピンに留学、朝鮮族の李周勲(リジュフン)先生と知り合うことになる。もともと韓国留学中に抗日独立運動に関心を持っていたことから、数年後には、旧満州での朝鮮人抗日独立運動について調べようと、家族と共に再びハルビンで暮らし始めたという。
 日本に来ている中国人留学生の中には、朝鮮族モンゴル族の学生がそれなりの割合を占めているようで、私自身にも朝鮮族の友人や知り合いがいる。それから同じく朝鮮族の映画監督・張律(チャン・リュル)の作品を通して、現在の状況についてはごくわずかながらイメージを描くことができるが、友人たちの祖父母の世代のこととなると、全くと言って良いほど知識をもたない。つまり、私は同世代の友人知人を通じて触れたところから、時代を遡って知りたいと思ってこの本を手に取ったが、この本では逆に、旧満州を起点とする視点で現在につながる様々な個人の生が綴られている。
 歴史的な出来事というのは背景であって、あくまでその中を生きた一人一人の姿が前面に出ている。紹介状をもらって、交通の便の悪さ、道みちの困難もものともせずどこへでも訪ねてゆく行動力と、聞きにくい話もあっただろうに相手のふところに飛びこんでゆく度胸に頭が下がると同時に、友人づきあいの枠をこえて家族同様の関係を築いてゆく深さにも胸打たれる。
 この本から教えられたことはたくさんあるが、中でも1932年に長編詩『間島パルチザンの歌』を発表した高知の詩人・槇村浩に出会えたのは嬉しかった。私たちはその気になれば世界中のどこに暮らす人々にでも気持ちを寄り添わせてゆくことができるのだし、それは自分がどの国境線の区切りの中に生まれたかということは問題ではないのだ。