ヤスミン・アフマド『グブラ』(Gubra、2006)

 東京国際映画祭では『ガブラ』のタイトルで公開されたもの。オーキッド四部作で、時間としては『細い目』『ラブン』の次に位置する作品。

 オーキッドはイギリス・フランス留学から帰国し、年上のマレー人の夫を持つ身となっている。そんなある日、父が倒れたとの知らせを受け、駆けつけた病院で『細い目』の恋人ジェイソンの兄と出会う。弟の遺品を渡したいという彼と一緒に病院から出たところ、夫の浮気現場を目撃する。「あんな女、ただの肉の塊だ」と弁解する夫に、「その言葉、私の前で直接彼女に言って」と迫るオーキッド。結局オーキッドは荷物をまとめて実家に帰る。

 同時に、イスラム聖職者夫婦を取り巻く人間模様が展開される。コメディの要素がまだ残るオーキッドのエピソードとは異なり、春をひさぐ女たちの生活には様々な困難が降りかかる。不治の病に冒されたシングルマザー、何らかの事情を抱え、払いが良いという理由で嗜虐症の男を客に迎え痛めつけられる娼婦。こちらにもオーキッドを取り巻く人々と同様にあたたかな人間関係は存在するが、救いのない結末に至る。

 これはほぼ全篇マレー語で、他の作品に比べ宗教的な色彩が強い。『細い目』や『ムクシン』にもコーランを学ぶ場面や祈りの場面は出てきたが、『グブラ』では聖職者夫婦が登場することもあり描かれる比重がずっと高い。台詞に占めるマレー語の割合が増えていることもあり、検閲対策というか当局に認められやすくする意味もあるのかと思ったが、それは勘繰りすぎのようだ。シャリファ・アマニが坊主頭にして話題になった最新作はほとんど英語らしいので。

 登場人物が増えた分、物語の複雑性も増しているが、より深みのある作品になっているように思う。ただ、オーキッドをめぐる男については『細い目』同様に疑問符。自分が関係を持った女について、他の女の前で悪しざまに言う男というのは最低だ(いるけどさ、私の身の回りにも)。だから、オーキッドが装いを凝らして夫に浮気相手を呼び出させ、自分の前で罵らせる場面は生理的に受け付けなかった。もしかすると、夫の理不尽な仕打ちに一方的に耐えるだけではない、毅然とした女の姿を造形しようとしたのかもしれないが、それなら見当違いのように思える。

 ヤスミン・アフマドの作品は一通り観た計算になるが、男女関係の描き方だけはどうも私の目には納得がいかない部分が残る。どの程度現実を反映しているのかはわからないが、マレーシア社会をひとつの切り口から見せてくれる点では興味深いし、鑑賞後も物語の余韻は残るのだが。

 余談だが、ふだんチェックしているマレーシアの芸能サイトは中国語なので、中華芸能の話題が大半を占め、それ以外に関してはよほどのトピックでないと引っかかってこない(シティ・ヌルハリザの結婚など)。エスニックグループ(使用言語)によって、芸能ニュースも区分されているようだ。

 

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