ウー・ミンジン『水辺の物語』(2009)

 アジアフォーカス・ 福岡国際映画祭(ソラリアシネマ)でマレーシアのウー・ミンジン(Woo Ming Jin /胡明進)監督『水辺の物語』(Woman on Fire Looks for Water/遺情)。

 漁村*1を舞台にした話。蛙採りで暮らしている華人の青年・阿飛(Ernest Chong)は友達以上恋人未満のリリ(Foo Fei Ling)に結婚しようというが、いつもはぐらかされる。そうこうするうち、ひょんなことから助けた水産加工場の経営者に気に入られ、娘婿にという話が出てくる。一方で阿飛の父は初恋の女性が忘れられず、最後のチャンスと駆け落ちを迫る。

 他の相手と結婚しても心にあるのは初恋の人、というのはある意味で非常にロマンティックな想像ではあるけれど、実際にはかみさんも死んで息子も大きくなり、することもなくなったから昔の恋人が美化された姿で思い出されたんだろうな、などと思いつつ見ていた。会おうと思えばいつでも会える距離に住んでいるのだから余計だ。父とかつての恋人との広東語でのやりとりは、字幕ではロマンティックな調子で訳されていたが、おそらく字数の都合で、実際はもっと普通の話し言葉だったと思う。

 魚の干物を作る場面が、同映画祭で直前に上映された『豆満江』と響き合っていた。魚貝や蛙のぬるぬるした、生々しいイメージが反復される一方、正しく加工されなかったものは激しい日差しの下で腐敗してゆく。恋というのも魚貝のようなもので、ひとたび水から離れたら、正しい時期に正しい方法で加工しないと腐ってしまう。きらきらと輝いていた鱗も、陽に照らされて腐臭を発し、地面にこびりついては洗っても落ちない汚穢に変わるように。こう解釈するのは比喩としてはあまりに陳腐だろうか。

 また、詩経の“籊籊竹竿,以釣于淇。豈不爾思,遠莫致之”(竹竿)などを引いてくるまでもなく、魚といえば女の隠喩というのはすぐに思い当たるところだ。とすると、ほぼ一日を漁船で過ごす父親が魚を捕れるのは当然だし、蛙ばかり釣っていて魚を捕らない息子の竿に魚がかからないのも当然、魚に対する興味が薄れてゆくのも必然の結果というのは穿ちすぎか。

 他の作品の開場を待つ間などにちらっと耳にした会話だと、「マレーシアのあれはテンポが遅かった」という反応が多かったようだ。今回のアジアフォーカスでは、同じ広東語の香港作品『セックスワーカー』(性工作者十日談/Whispers and Moans)が上映されたので、つい比べた観客も多かったかもしれない。邱禮濤(ハーマン・ヤウ)監督の細かいカットをテンポ良くつないだ作風と並べれば、この『水辺の物語』は長回しが多く台詞が非常にゆっくりな分(特に父親と初恋の女性の対話)、映画全体のテンポも遅く感じられるだろう。しかし一見ゆっくりしているように見えて、うっかりすると見逃してしまいそうになる細部に多くの情報が詰まっている(もっとも、それが監督の意図によるものか、現場で俳優が加えた解釈であるのかは色々なようだが)。それからなかなかユーモラスな描写も多い(水産加工業者の妻が、実はわざと何度も海にはまって助けを求めていたことが判明したり)が、さりげなく描かれているので分かり難いうらみはあるが。寄せては返す波のように、この時間の流れを描くのにはこのリズムしかないだろう。

 ところで、中国語タイトルの「遺情」というのは多義的で不思議な言葉だ。劇中に出て来るのは「遺憾」だが、題はあえて変えてある。「遺情」とは「思いを残す」「かなえられなかった思い」という意味でもあり、「無情」や世事に拘泥せず「俗世を離れる」という意味にも取りうる。張愛玲の『留情』という短篇を想起させないでもない題だが、中国語タイトルに果たしてどの程度監督の意見が反映されているのかはよく分からない。父親について考えれば、思いを遺すという意に解して良さそうだ*2。だが息子に関して言えば、むしろ思いが自然に薄れ、女にというより自分の心や欲望そのものに距離を置いてゆく、ということのようにも思われる。

 "Woman on Fire Looks for Water" という奇妙な題は、何か仏教に関係する言葉を監督が本で見つけ、そこから取ったのだということだ。火の中にいれば水を求めるのが自然であるように、運命を受け入れるということだそうだが、これもよくわからない。何でも八大地獄の一つ、焦熱地獄には分荼離迦処(ふんだりかしょ)なるところがあり、燃えさかる業火の中で罪人は「ここに池がある」との声を耳にし、走っていけば火の穴に落ち込んで焼き尽くされるが、再び生き返ってまた焼かれ、そうこうするうちに池なるところにたどりつく。しかしそこには水の代わりにいっそう激しい炎が噴き上がっているのみで、渇きは永遠にいやされないというのが往生要集に出ているようだが、いずれその類の話に基づくのだろうか。

 

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*1:ロケ地はクアラルンプールから二時間ほどの場所にあるクアラスランゴールというところだそうだ。

*2:もっとも、彼は唐突にスクリーンから姿を消すが、そのまま父の物語は何の説明もなく置き去りになってしまうので、まるで夢の中の出来事のようにも感じられる。