ディーパク・クマラン・メーナン『砂利の道』(Chemman Chaalai/The Gravel Road、2005)

 東京国際映画祭、アジアの風部門でマレーシアのタミル語映画、『砂利の道(Chemman Chaalai/The Gravel Road)』(公式サイト)鑑賞。『愛は一切に勝つ(Love Conquers All)』の監督、陳翠梅がプロデューサーをつとめている。監督の母親の少女時代の体験に基づいた話であるらしい。

 ゴム園で働く両親には娘四人に息子一人、つましいながらも一家なごやかに暮らしている。長女の縁談を進めようとしたところ、持参金や嫁入り道具を要求され、仕方なく承知する。一方で高校生の次女は進学をめざして懸命に勉強し、大学からの入学許可を得る。家計の助けになればと村の仕立て屋でアルバイトをするものの、それも焼け石に水。母は夫から貰った宝石を質に入れることを決意するが、運悪く質屋に向かう途中で宝石を入れたバッグを紛失、にっちもさっちも行かなくなってしまう。そんな中でも次女は進学の夢を諦めず、雑貨屋の息子からの求愛もにべも無く断る。「あなたひとりだけ幸せになるつもり」と母になじられ、売り言葉に買い言葉で「お金も無いのにこんなに子供を作ったのは自分たちでしょう」と言い返す次女。母は思い余って毒を仰いでしまう。

 それでも幸い母は命をとりとめ、高校の先生がわざわざ訪ねてきて、奨学金や学資ローンの申請を勧め、進学の夢をかなえてやるよう父を説得する。「そんな制度があったなんて」と一も二も無く父は進学に賛成、さあこれで大団円かと思ったところに悲劇が出来する。

 意外にも05年の本作がマレーシア初のタミル語映画となる由。言語政策と資金の両方の事情から、インド系の監督には厳しい状況が続いたのだろう。

 何でも、マレーシアのインド人社会では南インド系が大多数であり、歴史的にエステート労働者としての移民が多かったそうだ。英語を解さない子女の教育には、タミル語学校が必要になる。

 歴史的にその大半がエステート労働者として移民してきたインド人には教育の機会がほとんど皆無であった。タミル語というマレーシア社会では少数に属する言語のために、政府やボランティア団体などの支援もなく、タミル語学校の設立は遅く、しかもその数も極めて少なかった。また、タミル語を解する教員の数が極端に少ないこともタミル語学校の限界であった。したがって、タミル語学校は当初から他のエスニック集団の学校に比べ、教育施設の不備や教員不足の点で劣悪な状態にあったと言える。

山田 満『多民族国家マレーシアの国民統合―インド人の周辺化問題』

 79年生まれの監督の母の世代だから、映画で描かれているのは60年代になるのだろうか。タミル語学校に通うゴム園の労働者の娘が、大学に合格するというのは並大抵のことではなかっただろう。しかも、父親は「女の子は早く働かせて、一人息子のために貯金したら」と勧められたりもしている。*1

 ところで、『ダンシング・ベル』同様に自転車のシーンがふんだんに出てくる。この監督はよほど自転車が好きなのだろう。それから、これも『ダンシング・ベル』同様に中国系の登場人物が北京語の歌をうたう場面がある。ここでは仕立屋のおばさんが「望春風」を口ずさんでいる。そうそう、このおばさんが次女の大学合格祝いにと「ang-pau」をあげるのだが、字幕に「アン・パウ」と出ていたのは福建語で「紅包」のことだろう。赤い袋をあげていたもの。お年玉に限らずご祝儀一般に使えるようだ。

 それから、よくインド人は「イエス」の時に首を横に振る、と言われるが、この作品でも父親が「わかりました」というところで首を傾げるような仕草をしていた。これのことか、と面白かった。ところでこのお父さん役の俳優(Gandhi Nathan)、『愛は一切に勝つ』の冒頭で主人公に席を替わってくれと言うあの老人ではないか?

 

zacco-q.hatenablog.com

 

*1:60年代といえば、日本でも都市部はいざ知らず田舎ではそんなものだっただろう。