サラフディン・シレガー『インドネシア イスラム寄宿学校』(2019)

asiandocs.co.jpアジアンドキュメンタリーズの配信でサラフディン・シレガー『インドネシア イスラム寄宿学校』(Shalahuddin Siregar,《Pesantren》、2019)を鑑賞。

インドネシアの(ジャワにあると思われる)寄宿学校の日常を追う。マレーシアではポンドックと呼ばれるものと記憶していた宗教学校、インドネシアではプサントレンというようだ。伝統的には標準修業年限は七年という。小学生から高校生くらいまでの男女の生徒が学ぶが、クラスは男女別。この学校は校長が女性で、かなりジェンダー的にリベラルな教育をしているように見えた。男性が女性より知性の点で優れるとされてきたのは、教育が男性に集中して与えられてきたから、とシニアの男性教師が明言する。大学部の授業は男女混合で、女子学生たちが意を得たりとばかりに頷いている。この学校で開催された世界女性ウラマー会議の様子も映り、また若い女性の音楽教師はどうしても大学院に通いたいと学校を離れることを選ぶ。この先生、卒業式の夜に大学のあるスマランに向けて発つとのことで、生徒たちとの涙の別れの光景が映る。合格するか、学費を工面できるか心配で毎晩泣いていた、みんなに当たったこともあってごめんねと最後に率直に打ち明けるのに感心。

宗教学校に子供を預ける家庭は、家での宗教教育にもよほど熱心なのかと思いきや、必ずしもそうでもなく、入学の時点でクルアーンが読めない生徒が三分の二に上るという。学校できちんと教えてほしいということらしい。

教科書はアラビア文字で書かれていたが、アラビア語のキターブなのかジャウィの解説書なのか、生徒は先生の解説を行間に書き入れている。低学年の授業だとアラビア語で読んでジャワ語で繰り返すという形をとっているようで、「文選読みだ……」と漢文の素読風景を想起する。

教科書を学習するというより、先生の話を集中して聞いて心に刻んでいるように見えた。授業もその他の時間も、基本的に床に直接座って過ごしている。低学年の子供たちは腹ばいで宿題をしている姿も。職員室にも机はないらしく、会議も先生たちが車座になって床に飲み物などを置いてしゃべるスタイル。(それにしても、床生活で正座をするのは日本特有なのだろうか?)

各地の村のモスクに教育実習にも行くそうで、その際の注意として、「礼拝をしない人や慎みのない服装の人を見下してはいけません」と伝えられ、皆真剣に頷いている。そのモスクでの村の老人との会話で驚いたのは、老人が突然「私は罪人だ」と言い出し、65年の9・31事件の際に村の共産党員の家を焼き討ちした、対象には自分の叔父も含まれていたと告白すること。

ところで、このような宗教学校と国民教育システムがどう接続しているのか気になった。また教員はアズハル大学やパキスタンなどへの留学経験者なのだろうか?

制作はインドネシアだが、クレジットにはNHKやフィルメックスも入っている。