徐漢強『返校 言葉が消えた日』(2019)

時代設定は1962年、白色テロの時代の台湾で禁書の読書会を開いていた高校教師と生徒。誰もいなくなった校内に閉じ込められる悪夢が現実の密告事件と交錯する。元になったのがホラーゲームというせいもあってか、前半はジャンプスケア中心のホラーの雰囲気。

読書会の関係者は国家転覆を謀ったという罪状で告発されるが、読んでいた本が何かというとタゴール厨川白村魯迅訳の『苦悶の象徴』)。

悪夢の中で首を絞めに追って来る、国家権力を象徴するような巨大な兵士の顔が空洞なのには、責任の主体をどう考えるのだろうと違和感があったが、最後にその顔が映る仕掛けで納得した。

Netflixでは90年代の翠華高校を描くドラマ版が先に配信されていたが、学校というシステムの権力性のあまりの陰鬱さに、校内性暴力の予感がしてきたあたりで観るのを放棄してしまった。映画版は生徒から教師に寄せる憧れというパターンに当てはめられているし、拷問シーンも男性俳優だけで、性暴力シーンやその暗示はない。

ホラーの緊張感が保たれながらも、最後には歴史に対する責任が感動的に語られるので、台湾でヒットしたのも頷ける。しかし当時を歴史としてしか知らなければ安全に感動を覚えることもできそうだが、自身や親族の体験として知る人にとっては観る気になれないかもしれない。歴史を語り直すというより、当時を知らない世代の作り手がどうやって一定の商業的制約の下で創作するかという点で、模索の時期にあるようにも思う。