曾翠珊『河の流れ 時の流れ(河上變村)』(2014)

アジアンドキュメンタリーズで配信終了直前にすべりこみで見る。

新界は西貢の蠔涌村は400年の歴史を持ち、英国租借以前から代々暮らす「原居民」の村。10年に一度の祭り「太平清醮」のために村人が帰省してくるところから始まる。

この村では50年代から欧州に出稼ぎに行く風潮があり、監督の隣人の劉さん一家も長く欧州に暮らし、老夫婦だけが村に戻って余生を過ごしているという。このおばあさんがよそから嫁いで来た人なのだが、貧しい村で厭だったが仲人の顔があるので断れず不承不承輿入れしたということで、若い頃の暮らしといえばただただ「貧」の一字だったという。若い頃の写真はとても上品で肌もつやつやして、とても毎日野良に出ているようには見えない。山歌をよく歌っていて、村人からそれとなく嫌味を言われるくらいだったらしい。優雅な趣味と思われていたのだろうか。夫が欧州に赴き、夫婦別れて長く暮らしたが、その間の生活を語る間も、語りがいつのまにか引き裂かれた恋人の歌になっている。食事の時も箸を長く持ち先のところだけで挟み、少しずつ食べるのが何とも品がよい。夫が海外にいる間、小さい子供たちを抱えて、農作業と養豚、畑をやめてからは建築現場で働いたというが、若妻には人の口もうるさいだろうし、相当苦労したのでは。

後に夫が仏・カレーに店を開き、家族を呼び寄せたという。今では子供たちは仏と英(エディンバラ)でそれぞれ暮らしている。西貢の出身者は移民先にもコミュニティがあり、幼なじみも皆いるので家のように感じられ、むしろ香港の方がもう面影もなく帰っても仕方ないと感じる声も。一方で、やり直せるならもう海外になんて来たくない、ずっと故郷で過ごしたかったと語る夫婦もいて、言葉の通じない土地で暮らしてゆくのは、若いうちは気力で踏ん張っても何十年も経つとそれも苦しいだろうと思う。

こうした移民たちが集うのが「太平清醮」で、十年に一度を楽しみに帰省してくる。孫の代になると、「私が何人かって? 蠔涌村人、生まれも育ちもフランスだけど」という答えも。祭りには明らかに村の出身ではない人たちも混じっていて、海外から調査に来た研究者かと思ったが、どうも移民先で現地の人と結婚してできた親族らしい。

祭りは「車公」という神を迎えるところから、幾つもの儀礼を経て、「化大士」(張り子の仏像を焚き上げる)、車公の像を廟に送り届けるところで終わる。10年前にはディベロッパーが土地を囲ってしまい舞台をかける場所を探すのに苦労したそうで、10年後には土地があるかなあなどという声も聞かれたが、村の人々をつなぐ紐帯として機能している以上、祭りは継承されてゆきそうだ。

それにしても、なつかしい故郷の家族や幼なじみと心ならずして別れなければならない人生と、自分を知る地元の同級生やら親類縁者には二度と会いたくないと思う人生とでは、天秤にかけるものでもないがどちらが苦痛が少ないだろうかなどと考える。