シューリン・ヨン『教えて学ぶ』(UNTEACHABLE/孺子不可教、2019)

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進学コースから外れ、職業訓練コース行きが定められた中学生たちを対象に、TR(Tutorial Relationship)を試験導入した学校の一年間。

シンガポールの教育課程はシビアで、小学校卒業時の試験でコース分けがなされる(2024年廃止予定)。成績下位の生徒は進学コースには入れず、大学進学の道はほぼ閉ざされる。学業で挫折体験を持っているこうした生徒の集まる中学校を舞台に、生徒同士で教え合うTR学習を通じて、理解を深め自信を回復する試みがなされる。

導入科目は数学だが、教員会議では「生徒が間違って教えるのでは」「TRに割ける時間が圧倒的に不足している」といった懸念の声が上がる。結局、試行の末、成績だけでなく生徒の自信と態度の相違を評価し、一部の単元で次年度以降も継続されることになる。

TRの専門家として学外からやって来たメイシーはまだ若い女性で、メキシコでTRの実践経験を持つが、シンガポールの教員養成課程の出身ではないため、正規の教員の資格は持たない。彼女は一年間の試行の末、米国の大学院で博士号取得を目指すことを決め、学校を離れる。

数学の主任教員が、「TRを続けるとしたら非常に準備に時間がかかるので、教員が家庭を犠牲にすることになるだろう。生徒のためが第一だが、無理はさせたくない」と現実的な折衷案を出すくだり、身につまされる。それなりのバッファーがないと、新しいことを導入するための研修や、結果の振り返りもままならない。

生徒自身が教えてみてのコメントに、「英語が得意でない相手に教える時は、うまく説明できているか緊張する」というものがあった。英語使用率がとみに高まっているように見えて、この映画の世代でも、英語に苦労する生徒がいるのだ。英語を使用しない家庭の生徒は、中学入学までにハンディを負うことになりかねず、そこで大学への進学可能性がほぼ決まるとなると、言語という資本の格差が世代間でそのまま継承されやすい構造があるのだろう。