リービ英雄『星条旗の聞こえない部屋』

星条旗の聞こえない部屋 (講談社文芸文庫)

星条旗の聞こえない部屋 (講談社文芸文庫)

 

 実際に読んだのは1992年出版のハードカバー。表題作のほか、「ノベンバー」「仲間」の2篇が収録されている。簡単に気づいたところを書き留めておく。

江戸時代に日本へやってきたオランダ人のことが思い浮かんだ。デジマから鎖国の中に立ち入って、長崎の路端の子供らから「鬼」や「天狗」という罵りを浴びながら、何も分らずにただただ驚いている阿呆面の甲比丹(カピタン)。こんなところにいる、実際に、いるという、酩酊のような驚き……ベンは目をこすってみた。(18頁)

今自分が味わっているのと同じような感激を、ヘレン・ケラーもきっと味わったに違いない。
物も見えない、音も聞こえない、何も知らない、何も知ることはできない、暗闇の中に生きていた聾唖の少女は、周りの人間にとって、自分の家族にとってすら、「外人」だったのだ。
 そして聾唖の少女がその手のひらに、寛大で天才的な先生から「WATER」の文字を描かれて、とつぜん、それが自分の肌を流れている冷たい水だと悟った。その瞬間、ヘレンは水を知っていることによって、はじめて自分が世界の中にいる、実際にいるという衝撃を与えられたに違いない。(66頁)

 表題作より、太字は原文傍点。『ヘンリーたけし レウィツキーの夏の紀行』では、ユダヤ人が中国に住み着いて中国人に「なった」という表現が見られた。初期作品の「いる」という実感の衝撃から、さらに「なる」という言葉にたどり着くまでを思うと、そのごく当たり前に用いられる一語が浮かび上がって来たことの意味が少しずつ迫ってくるようだ。