陳凱歌『黄色い大地』

黄色い大地 [DVD]

黄色い大地 [DVD]

 

 リービ英雄の『我的中国』、『延安―革命聖地への旅』を続けて読んで、黄土高原といえば外せないこの映画が未見だったのを思い出し、DVDで観た。女房のことを“婆姨”という、との記述があったが、この映画でも同様の台詞があって納得。
 1939年、陝北の農村に共産党員の青年・顧青(王學圻)が民謡の収集にやってくる。延安の北、250キロというから、ほとんど内モンゴルとの境界だろうか。到着はちょうど村で婚礼が行われている日だったが、まだ幼い花嫁は悲しげだし、物陰から見ている少女(薛白)も涙を溜めている。宴席で魚が供されるので、川魚か干し魚か、宴会に出すような魚が手に入ったのだろうかと思ったら、魚を象った木を料理の代わりに並べるのであった。その夜、寡黙な老人の家に滞在させてもらうことになった顧青は、昼間の少女がその家の娘で翠巧という名だと知る。
 老人に最初“大爺”と挨拶した顧青だが、実はまだ47歳だと聞いて“大叔”と呼び方を変える。厳しい自然環境に加え、国民党の圧制が農民の老いを急がせるということなのだろうが、そのあたりは冒頭のテロップで説明されるだけで、「国民党が」「地主が」「日本鬼子が」こんなひどいことをしている、という露骨な描写はない。外の戦争の影は村の中ではほとんど窺えず、共産党員も民謡を採取して新しく歌詞をつけて延安で歌うのだ、とまだまだのんびりしている。翠巧にとっても、延安で共産党がどんな活動をしているかということより、延安の娘たちは自分たちで自由に相手を選んで結婚できるというのが大きな関心事だ。
 この党員の青年を演じるのが『孫文の義士団(十月圍城)』の王學圻だというのは、エンドクレジットを見るまで気づかなかった。こざっぱりと爽やかなのに農村の風景から浮いていないし、翠巧に希望を持たせておきながら、その気持ちには距離を取って延安に帰ってしまう、希望と情熱ばかりが先行して人情の機微がわかっていない若者を厭味なく演じきっているのはさすが。翠巧役の薛白はこの時二十歳くらいだろうか、後に『少女香雪(哦,香雪)』など数本の作品に出ているが、九〇年代後半からは舞台とテレビドラマに重心を移したようだ。最近は声優としての仕事がメインらしい。
 門口には春聯の代わりに○を幾つも書いた赤い紙が貼ってある。顧青は字を書いてやろうかと申し出るが、どうせ誰も読めないからと翠巧に断られる。後に彼女の嫁入りの日に、鮮やかな赤い紙に「自古婚嫁由天定 而今貴福在命中」「之子於歸」と門聯が貼られているのが映るが、もし自由結婚を謳う文句をこっそり書いてもらっていたら、文字に引かれるように彼女の婚姻もまた別の形になることがあり得たのだろうか。
 現実的な描写が続く中、終盤で翠巧が黄河を渡るあたりから急に調子が一転する。高く歌いながら新たな運命に漕ぎ出してゆくのは一つのパターンだろうが、その歌声がふと止んでから彼女の姿は二度と映ることはない。ラストの雨乞いの場面も、緑の葉で編んだ冠を被った夥しい数の男たちが立ち並ぶ様は、急に夢の世界に迷い込んだかのように思われる。そこに丘の向こうから顧青が姿を現し、人波に逆らって翠巧の弟が懸命に駆け寄ろうとするが、最後に映るのは二人が手を取り合う場面ではなく、カメラがいくらパンしてもそこに映るのは乾ききった黄色い大地ばかりである。寓話的で強烈なラストに、陳凱歌のフィルモグラフィーの起点はこんなところにあったのかと意外の感を受ける。
 クレジットの字体が篆字風なのがしゃれている。終盤の延安での場面で腰鼓を叩いて舞い踊る一団は、安塞縣農民腰鼓隊とのこと。安塞腰鼓は有名な伝統芸能だそうだが、その人数とダイナミックな動きで、静かなトーンの映画の中で異様な興奮をもたらしている。

原題:黃土地
英題:Yellow Earth
製作年:1984
制作国:中国
時間:90分
言語:中国語
監督:陳凱歌(チェン・カイコー/Chen Kai-ge)
原作:柯藍『深谷回声』(散文集)
脚色:張子良
出演:王學圻(ワン・シュエチー/Wang Xueqi)、薛白(シュエ・バイ/Xue Bai)、劉強(リュウ・チャン/Liu Qiang)
録音:林臨
撮影:張藝謀(チャン・イーモウ/Zhang Yimou)
編集:裴小南
美術:鐘靈

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