チャン・メン『鋼のピアノ』

 
 アジアフォーカス・福岡国際映画祭で。こういう作品を「良かった」というのは少々面はゆい気がする、庶民が主役の人情もの。昨年の東京国際でグランプリを受賞しているが、東京のコンペで観る中国映画は私にとって面白いと感じられたためしがなかったので、昨年はもう観に行かなかった。何事も偏見を持ってはいけないようだ。*1
 出奔した妻(チャン・シニョン)が戻って来て、離婚とともに一人娘を引き取ることを申し出る。夫の陳桂林(王千源)は同意せず、娘の意思を確認したところ、「本物のピアノを買ってくれる方につく」との答え。薬を作って儲けている(陳桂林は「ニセ薬」と言い張っている)妻の恋人と違い、桂林にはとても本物のピアノを買う金は無い。小学校から盗み出そうとしたものの、露見してこってり絞られる。となれば、自分で作るしかない。桂林は今は冠婚葬祭に花を添えるアコーディオン弾きだが、実はかつては鉄工場に勤めていた。ピアノも鉄でできているのだから、為して成らないことはなかろう――
 閉鎖された工場というモチーフは、賈樟柯ジャ・ジャンクー)の『四川のうた』(二十四城記)や王兵ワン・ビン)の『暴虐工廠』にも見られる。人生のそれぞれの場面の記憶が工場の存在に重ねられる前者と、歴史の惨劇の舞台としての工場を描いた後者。正反対の記憶を喚起する工場だが、この『鋼的琴』の鉄工場は前者。
 この映画は、最初は娘を思う親心がテーマかと思わせて、実はオヤジたちの黄金時代を再現するプロジェクトだということが明らかになる。時代背景は90年代のようだが、工場が閉鎖されてからそれほど時間も経っておらず、昔というほどでもないが、仲間と共に汗を流した記憶を甦らせたかっただけなのだ。散り散りになってそれぞれの仕事に就いているかつての同僚を訪ね、それぞれの技術を終結してピアノを作り上げようとする。
 桂林たちは皆、過去の時間がそれなりに身体に堆積してはいるが、彼の父親のように過去に沈潜して生きるほどの年でもない。まだまだ直面しなければならない将来があるが、過去の無かった若い時分のようにはゆかない。彼ら中年男たちは、工場に集っての作業を明日への原動力とするのだった。
 廃炉の二本の煙突が取り壊されるのを何とか止めさせられないか、と皆で話し合う場面がある。空に屹立した二本の煙突は、景観として特に美しいというようなものではないが、ある風景に対する認識はそこにまつわる記憶と切り離すことはできない。東京の空に電線が張り巡らされているのは醜い風景だというのも部外者の意見で、その電線が記憶の原風景となっている人にとってはそれ以上に懐かしい風景はあり得ないかもしれない。それと同じように、工場の煙突が倒される日、かつての工場に勤めた人々は集まって別れを惜しむ。
 主人公の恋人として紅一点で登場するのが秦海璐。幼い息子を抱えるシングルマザーだが、彼女ひとりで育てているわけではないらしく、主人公を家に泊めたりする程度の自由は効くようだ。実年齢より少し上の設定か、前髪を上げておばさんくさいスタイリング。王千源との掛け合いは田舎のおじちゃんおばちゃんという感じで、芸達者な上に息がぴったりなのも観ていて楽しかった。

原題:The Piano in a Factory/鋼的琴
制作年:2010
制作国:中国
制作総指揮:クァク・ジェヨン(郭在容)
プロデューサー:ジェシカ・カム、チェ・グァンソク(崔光石)
監督・脚本:チャン・メン(張猛/Zhang Meng)
出演:ワン・チエンユエン(王千源)、チン・ハイル−(秦海璐)、チャン・シニョン(張申英)
撮影:チョウ・シューハオ
音楽:オ・ヨンムク
録音:イ・サンウク

*1:もっとも、この作品は制作国は中国だが、スタッフには韓国人がかなり参加している。