パウル サラハディン レスダル『ダグマ 天国への起爆ボタン』(Dugma: The Button、2016)

 シリアのアルカイダ系組織・ヌスラ戦線に参加し、「殉教者」になることを志願したジハーディストたち。一人はサウジアラビア、一人は英国の出身で、大量の爆弾を積載した車輌で政府軍への自爆攻撃を決意している。「ダグマ」とは起爆装置のボタンのことだ。

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 Paul Salahadin Refsdal監督、プロダクションはノルウェーのMedieoperatørene。アジアンドキュメンタリーズの配信で視聴したが、英国のJourneyman Picturesでも配給されている。

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 サウジアラビア出身の男は妊娠中の妻を残して来ており、出国後に生まれた娘の姿はビデオ通話で見たことがあるだけだ。父とは自爆攻撃の際は最後の瞬間まで通話することを約束している。一度は戦車で出発したものの、道路が封鎖されて目的地に到着できず、不成功に終わる。指導者との対話のシーンでは、「人生からの逃避やジハードに疲れたという理由で殉教してはならない」と注意を受ける。あくまで「殉教」は「拡大自殺」とは異なるものでなくてはならない。

 英国の青年は改宗者だ。単身やってきて、シリアで結婚する。結婚の経緯は説明されないが、妻の親族からの差し入れだという料理を食べるシーンがあるので、相手は地元の女性らしい。新婚二週間目のインタビューでは嬉しさを隠せぬ様子で、結婚してようやく自分が完全になれた気がすると語る。夫が戦闘員であることは妻も承知だったようだが、「殉教者」リストに載っていると告げられた時は、当然ながら相当動揺したらしい。やがて妻の妊娠が判明し、彼は遺される妻子のことを考え、果たして本当に起爆ボタンが押せるかと思い悩むようになる。

 ミサイル攻撃で瓦礫となった建物の映像が挿入される。関係者はそこに軍事基地があったことは認めるが、殺害されたのは民間人だと主張する。瓦礫の間から毛布にくるまれて運び出されるのは、ぐんにゃりと重力に任せて沈む肉体だ。「遺体は救急車に乗せるな」という声で、すでに生命の痕跡を留めていないことが分かる。国際法上は「戦闘員」と「民間人」は異なる存在なのだろうが、政府軍のミサイル攻撃も武装勢力の自爆攻撃も、生身の人間が肉塊に化す点では変わらない。

 取材の対象は戦闘員で、カメラに女性の姿は映らない。妻は夫に従い夫を支えるものだということを前提とした家族のありようが、実際どのようなものであるかは窺い知れない。戦闘員の家族の生活に関して知り得るのは彼らの口から語られることがすべてだ。別の角度から別の見方はいくらでもできるだろう。それでも男たちの天国への憧憬と、家族への情が矛盾なく並存するところがあまりに「普通」に感じられるが、その「普通」さこそ私が見出したいと思っているものなのかもしれない。

 組織の指示に従って作戦は行われるが、彼らは自分がどこに配置されても神の思し召しとして受け入れる。日本のいわゆる「軍隊式」教育や組織の強制力とは異なるアプローチから、構成員を自発的に従わせている。信仰という基盤あってのものにせよ、すると仮に戦略ミスでも命令を発した個人は免責されてしまうのではないか。軍隊に限らず、こうした組織マネジメントは特異なのではないかと思ったが、考えてみれば立案して実行した側が「誰も責任を取らない」のは日本の組織でもよくあることだと思い至った。戦闘員がなぜ自爆攻撃を志願するかを考えようというなら、むしろ自分自身の自発的隷従が何に由来するものかをよく省察するべきだろう。

 

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