陳春成『夜の潜水艦』(大久保洋子訳、アストラハウス、2023)

夜の潜水艦

夜の潜水艦

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1990年生まれ、福建省泉州在住の若手男性作家の短篇集。収録作品は8編。どうしようもない現実に別のレイヤーを設定し、想像の筆で自分だけの世界を具象化する。動植物から建築物まで、細かく風景を再現する観察眼に賛嘆。植物園勤務の造園技師という、聞いただけでわくわくするような経歴の賜物か。

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ゲームのルールを変えようとするのではなく、ゲームはプレイするが、想定された攻略法を無視するような登場人物たちの姿は、中国の「80後」より「90後」的な世代感覚に訴えるものがあるのかもしれない。こういう比較は不適当かもしれないが、大好きな短篇ヒュー・ハウイー「キャラクター選択」(『スタートボタンを押してください』所収)の主人公のような行き方だ。

文革の際に破壊を恐れて隠された「竹峰寺」の石碑は、見える場所にありながら、人知れず苔むしてゆく。前の世代なら、隠されたメッセージを、読める者にだけ分かる形で拡散しようと試みるかもしれない。しかし、そうしたメッセージすらも商業化されてしまう時代の主人公は、発見を誰にも告げず、そこに自分の記憶の鍵を託すことを選ぶ。
ぎらぎらした野心を感じさせる新しさより、そこはかとなく懐かしい童話のような哀愁を漂わせる作風に、よい意味で「四平八穏」と評したくなる平坦だが端正な文体(翻訳の功も大きい)。どことなく湿気を感じるのは、寧得の(たぶん山がちの)土地に育まれた感性だろうか。
視覚性に優れた描写で、どの作品もそのままアニメーション映画になりそう。好きになったのは1957年のレニングラードを舞台にした「音楽家」。自己検閲と創作の葛藤の狭間で、我知らず驚きの解決策を生み出していた老作曲家の経験を、共感覚をキーに描く。もしかすると共感覚ナボコフへのひそかな目配せがあるのかもしれないが、それは穿ちすぎか。