Yayo Herrero『マウス -終わらない戦禍-』(The Maus、2017)

 父の葬儀のためボスニアに戻ったセルマと、ドイツ人の恋人アレックス。車の故障で森の中に立ち往生した二人は、怪しげな二人組の男と遭遇する。監禁されたカップルの脱出ホラーの要素を交えつつ、意識の暗がりにわだかまる戦争の傷を描く。製作はスペイン。

 ボスニアムスリムボシュニャク人)のセルマの一家は、ボスニア戦争でジェノサイドを経験している。アレックスは葬儀に際して家族からその話を聞くが、セルマは付き合って一年になる今もなお彼には戦争体験を語ろうとしない。

 アレックスはセルマの力になろうと努めるが、根本的な部分で彼女の心的外傷を理解できるわけもなく、森にはまだ地雷が埋まっていると不安を訴える彼女を「戦争は終わったんだ、もう安全だ」と慰めようとするばかり。さらに、彼女の不安を募らせるような危機感のない言動で事態を悪化させる。庇護者をもって自任している彼にとって、セルマとの権力関係が反転することは認められない。

 二人の怪しい男はセルビア人で、猫がネズミをもてあそぶようにセルマの恐怖を利用し、パニックに陥れる。エクスプロイテーション的な残虐描写ではなく、行為そのものは画面の外や闇の中で起こり、直接カメラに捉えられることはないものの、執拗ないたぶりの反復は正視に堪えない。繰り返されるフラッシュバックは、暗闇を挟んでいるものの、映画内現実と明確には区別されない。意識を失っては取り戻す場面の連続は、ループもののホラー映画の手法に近いが、フラッシュバックのつどその時間を生きるということは、タイムループの中に囚われているのと同じでもある。

 セルマはなぶり殺しにされるネズミとしての生を塗り替えることになるが、アレックスには彼女の動機が理解できない。ラストシーンで、花咲き乱れるベルリンの公園を新しい恋人と歩く彼には、銃を構えるセルマの姿が幻視される。一度揺るがされた日常は、たとえ表面的にはどんなに平和に見えようとも、ふとした契機で亀裂が走る。

 しかし何より恐ろしいのは、セルマの恋人も含めて、男たちの間に生じる緊張を伴った共犯関係かもしれない。セルマの話は「考えすぎ」「被害妄想」で、何もかも「終わったこと」で片付けられてしまうのだが、終わっていないどころかその現実はアレックスの日常にも滲出してゆくことになる。

 Netflixでは『マウス -終わらない戦禍-』の題で配信されているが、『グリーン・ヘル』の題で発売されているDVDと同じフィルムらしい。

 

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