イアン・チーニー、シャロン・シャタック『科学者とジェンダー』(Picture a Scientist、2020)

 米国の女性科学者が受けてきたジェンダーハラスメントの構造を描くドキュメンタリー。研究成果が奪われるとか性被害を受けるといったような、誰が見ても明らかなハラスメントから一歩進み、もっと無意識の部分での性役割に対する固定観念へと迫ってゆく。

www.pictureascientist.com 核になるのは、90年代に女性研究者の待遇を調査しデータに基づいて改善を求めたナンシー・ホプキンスらMITの研究者、科学者の表象について特に黒人女性の立場から発言するレイチェル・バークス、元指導教授から受けたハラスメント被害を訴えたJane Willenbring らのインタビュー。

 ジェンダー比の極端に不均衡な環境で、女性は同じテニュア教員でも男性より狭いラボを割り当てられるというハード面の問題から、作った試薬を勝手に使われるとか、メールのccから外される、会議での発言に取り合ってもらえない……といった、一つ一つはその都度訴えずに我慢してしまうような問題が語られる。

 南極でのフィールド調査中に Willenbring が受けたハラスメントは壮絶で、女性器呼びから遮蔽物のない平野で用を足す時にわざと小石を投げつけるという性暴力、丘に登ろうとしている時にリュックに手をかけて引きずり落とすといった肉体的暴力まで。被害を避けようと日中は水分を控えたため膀胱に問題を生じ、インタビュー時もなお症状が残っていると語る。指導教授のDavid R. Marchantに対する訴えは、ボストン大で審議され、当初3年間の休職を命じる裁定だったが、最終的に解雇となった由。

 しかし、フィールドでこの男が行ったハラスメントは、どこか既視感がある。応召経験のある日本の作家の小説にもれなく見られる、軍隊での初年兵いじめとほぼ同じ心性ではないか。集団の中で構造的劣位に置かれた標的を虐げることで、自分の地位を確立する。女子学生を性的なからかいによって劣位に定めるセクハラに始まり、研究能力の否定など本人には反論しがたいアカデミック・ハラスメントへと展開する。ラボに女性がいなければ、恐らく男子学生の誰かが標的になるのだろう。

 女性と分かる名前の履歴書は、同じ内容でも男性名のものより低く評価されるとか、女性と仕事・科学に関する単語を結び付け、男性と家事・家庭に関する単語を結び付けることは、逆より時間がかかるといった実験も紹介される。ジェンダー平等の実践者をもって任じる個々人の中にすら、強固な性役割固定観念があるという指摘だ。

 嫌がらせに耐えてテニュアを得た研究者たちがあげた声だけではなく、匿名の女性へのインタビューも収録されているところも注目に値する。先の Marchantが着任して最初に指導した女子学生は、研究能力を否定されて予算を配分されず、女性の学部長に訴えても取り合ってもらえず、博士号の取得を断念し宇宙飛行士への夢を諦めたという。

 女性の可能性を奪うことは、その分野を牽引する可能性のある人材をみすみす捨てることだという結びで、「研究者としての適性や能力がなかったからドロップアウトしたのだ」という固定観念に予め反論する。ステップごとに女子学生が減ってゆくのが水漏れ減少なら、「水漏れするパイプは修繕が必要」なのだ。