デア・クルムベガスヴィリ『BEGINNING ビギニング』(დასაწყისი、2020)

 1986年生まれの女性監督によるジョージア映画。映画.comの配信「世界の奇妙な映画コレクション」では〈恐怖〉との触れ込みで、ホラー映画と勘違いして観たら、テオ・アンゲロプロス蔡明亮のような長回し映画だった。

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 エホバの証人の会館で、集会中に火炎瓶が投げ込まれる事件が起こる。幸い信者はみな無事だったが、建物は全焼。監視カメラには犯人の姿が映っていたが、トビリシから来た刑事によって消去を指示されたと指導者は妻ヤナに告げる。
会館再建のため、指導者は首都に出かけるが、同伴を拒んだヤナは幼い息子と家に残る。そこに刑事を名乗る男が訪ねて来て、被害届を取り下げるよう陰湿な方法でヤナに迫る。

 だんだん分かってくるのが、ヤナは元女優で、結婚した際に夫のサポートに専念する約束で仕事を辞めている。彼女の両親も夫婦仲はよくなかったが、父が亡くなるまで結局離婚することはなかった。母と同居している妹はシングルマザーで、乳児を育てているが、相手の男は家に寄りつきすらしない。

 ヤナはどうやら元の家庭の桎梏から逃れた結婚で、妻が夫を支え、夫に従うというモデルに再びからめ取られてしまったらしい。新宗教の教団内の問題ではなく、新宗教を排斥するための口封じの手段として性暴力が用いられることで、彼女にはもう逃げ場がないことが明らかになる。

 結局、帰宅してヤナの身に起きたことを知った夫は、自身の昇進を目前にその事実が本部に知られることを恐れ、被害届を取り下げる。夫はヤナを許そうと思うと告げ、会館を再建したらトビリシの本部で働くので、またやり直そうと提案する。その場では提案に同意するヤナだったが、息子の洗礼の直後、彼女にとっての「やり直し」すなわち新たな始まりの意味が明らかになる。刑事を名乗る男が最初に家を訪れた後、森でヤナが息子と身を横たえる長いシーンがあるが、後から考えるとあれは結末を先取りしたものだったのだ。

 「死んだら人の霊魂はどうなる?」と洗礼を控えた子供たちに問いかける場面がある。どうやってキャスティングしたのか、次々に映る子供たちはみな幼い体つきとあどけない表情なのに、ほぼ完成された大人の顔立ちが際立ち、アンバランスな危うさを感じさせる。

 ラストシーン、刑事を名乗って訪ねて来た男(序盤で火事を眺めるヤナの息子の鼻をひねり上げ、何があったのかと尋ねた男でもある)は、地元の仲間と狩りをしているが、途中でふと何かに目をとめる。カメラに向かって近づいて来る彼に、フレーム外から「アレックス」と呼びかける声が入るが、彼には聞こえていない。

 結局彼が目にしたものは分からないままだが、夜の渓流でヤナを暴行した彼は、干上がってひび割れた河床に同化し、崩れて姿を消す。家父長制の枷が塵芥に化すまでには、それを養う川の流れが干上がらなければ……と読むならば、桑田滄海どころでない時間がかかりそうだ。


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