タン・チュイムイ『夏のない年』(Year Without A Summer、2010)

 東京フィルメックス、有楽町・朝日ホールにて一本目のマレーシア映画、タン・チュイムイ(Tan Chui Mui/陳翠梅)の『夏のない年』(Year Without A Summer)鑑賞。

filmex.jp

 長編第一作『愛は一切に勝つ』(Love Conquers All/莫失莫忘)の主な登場人物は華人だったが、うってかわって今回はマレー人の物語。"Editing Consultant" としてタイのLEE CHATAMETIKOOL(リー・チャータメーティクン)が参加している。彼は Chris Chong Chan Fui(クリス・チョン・チャン・フイ)の《Karaoke》(你卡拉 ,我OK)の編集もつとめているので、最近はマレーシア映画界ともよく交流を持っているようだ。ちなみに今年のフィルメックスのオープニング作品、アピチャッポン・ウィーラセタクン (Apichatpong WEERASETHAKUL)の『ブンミおじさんの森』(Loong Boonmee raleuk chat)の編集も彼。東南アジア映画界で要注目の人物であることは間違いない。

 2回の上映はいずれも朝日ホールだったけれど、これはTOHOシネマズ日劇のスクリーンで観たかった気がする。

 事前に読んでいたレビューには、マジックリアリズムなんて言葉も出て来ていたが、倒叙形式という点を除けば、特に現実と非現実が交錯するのは終盤の一瞬だけ(しかしそれが非常なインパクトをもって描かれる)だ。

 筋らしい筋は無い。村を出て行った男・アザム(NAM RON)がふらりと帰郷、幼なじみの夫婦と夜釣りに出て海に潜ったまま姿を消す、というのが前半で、後半は彼らの幼年時代が描かれる。

 男が帰ってきて、ミナ(MISLINA MUSTAFFA)*1という女(幼なじみの妻)の家に食事に招かれる。生き写しだと言われる彼の父は、狩りの日にそのまま村から姿を消しており、彼は「虎男」とあだ名される祖父に育てられてきた。この食卓の場面で、ラジオ(あるいはテレビ)から安っぽいドラマが流れているのが聞こえる。歌手になろうとする子供に、親は猛烈な勢いで反対するという場面のようだ。アザムが歌手であることから、気まずさを取り繕うように、「うちにもあなたのテープあるのよ」という言葉が聞こえて来る。

 劇中劇の趣向は『愛は一切に勝つ』にも見られて、主人公が住み込みで働いている一家が夕食後にソープオペラを楽しむ場面が繰り返し現れた。若い恋人たちが、陳腐な台詞で愛を誓おうとし、寝台に並んで横たわる。これから色っぽい場面になりそうだ、というところで、店の女主人は小学生の娘に「さっと寝なさい」と命じる。主人公の少女も、それを潮時に「私ももう休むから」と立ち上がる。先の読めるありきたりのドラマは、今まさにもっと劇的な恋愛を経験している彼女の興味を引きはしない。だが実は、彼女が現実で経験しつつある恋愛も、陳腐な筋書きのドラマと何ら変わるところはないということに、彼女はまだ気付いていない…。

 『夏のない年』の劇中劇は、親子の対立を描いているようだ。だが、それが放送される現実の世界では、親子の関係そのものが成立していない。アザムの父は彼がまだ幼いうちに出奔しているが、アザムも蟹を海底に帰してやる仕草から、父の心情に寄り添っているだろうことが想像される。一方でミナのほうは父親の管理の下で生活していたことが分かる。彼女との結婚の許しを求めに来た幼なじみに、父は毎日早朝に通ってくることを指示する。妙な百夜通いさながらのエピソードの後に、二人は結婚したというわけだ。子供が歌手になろうとするのを反対する価値観の中に生きているのはミナの家族で、アザムにとってそれはドラマの世界のように現実感が無い。

 だが、『愛は一切に勝つ』では、主人公自身がいつのまにかドラマのような陳腐な現実を生きるようになっていた。ドラマと現実との交錯が『夏のない年』でも起こっていると考えることもできるかもしれない。とすると、幼年時代のパートにミナは登場しないが、アザムが語る女の子とのあれこれはもしかするとミナとのことも含まれていて、彼女の親に叱られたり反対されたりしたという経緯があったのかもしれない。

 内容に関しては、こじつけようと思えばいくらでもこじつけられそうだが、映画においてテーマやプロットといった部分はあくまで添え物なのかもしれない。夜の海の場面、ぱしゃりぱしゃりと船縁を洗う波の音、それからアザムのカセットをかけると外でざあっと雨が降り出す場面、映画の時間を客席から共有できることがこの上なく幸福だと感じられるような映画だった。

 

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*1:『タレンタイム』『ポケットの花』でもお母さん役を演じていた女優さん。