アパルナ・セン『妻は、はるか日本に』

 アジアフォーカス・福岡国際映画祭にて。オックスフォード在住の作家クナル・バスの原作を元に、女優としても活躍するアパルナ・センが映画化した作品。
 日本の少女ミヤゲ(高久ちぐさ)(物語の開始時には19歳)がインドの雑誌に文通相手募集の公告を出したのがきっかけで、ベンガル地方の田舎の村*1の小学教師スネホモイ(ラーフル・ボース)と文通を開始する。物語の開始は1985年、二人はひたすらつたない英語で手紙をとり交わすうちに次第に心を通わせてゆく。*2 そして、ここからが常軌を逸しているのだが、二人は何とそれぞれインドと日本に暮らしながら、一度も顔を合わせぬままに結婚してしまうのだ!
 この夢見がちな田舎教師、もしかして日本の自称「女」におちょくられているのでは…との懸念がきざすが、彼は疑いもせぬまま、あれよあれよと言う間に15回目の結婚記念日を迎えることに。
 そんなある日、同居のおば・マシ(モウスミ・チャタルジー)の名づけ子で、かつてスネホモイとの間に縁談のあったションダという女性(ライマ・セン)が、母と夫を亡くして彼の家に身を寄せることになる。一人息子を連れてやってきた彼女だが、スネホモイには正面から顔を見せようともせず*3、喪のしるしの白いサリーも、脱ぐようにとマスに勧められたにもかかわらずまとい続けている。息子を介してスネホモイとションダとの間にも交流が生まれ、ふたりは次第に相手を気遣い合うようになる。
 そんなある日、日本のミヤゲから、母を亡くして病に伏せっていることを知らせる手紙が届く。実は彼女は癌だったのだ。スネホモイはコルカタの医者にまで意見を求めるが、いかんせん日本行きの費用を捻出することもならず、妻を呼び寄せることもできず気を揉むばかり。
 荒唐無稽な話ではあるが、ミヤゲとションダが顔を合わせる幻想的なラストが美しい。一人の男をめぐってそれぞれに思い出を抱いた二人の女が出会い、互いに理解し共感し合う瞬間は、あり得ない夢物語に不思議な説得力を与えている。
 手紙だけで決して会うことのない交流というのは、恋愛の上澄みのような、いちばん美しい部分を凝結させたようなふしがある。(国際)恋愛の面倒な部分をはじめから見事に回避した上で作られたラブストーリーという意味では、ユニークな作品だった。
 Q&Aで凧について述べた男性が「ハタ合戦」と言ったのでもしかして、と思ったらやはり長崎の方だそうだ。長崎でもインドの凧と同じ形のものを揚げる由。確か長崎市史・風俗編にハタについて記した箇所があって、ヤスミン・アフマドの『ムクシン』の凧と同じ形のものが挿絵にあって嬉しかったのを覚えているが、中国やマラヤだけではなく、インドの凧も渡来していたのか。

原題:The Japanese Wife
製作年:2010
制作国:インド
プロデューサー:アプルブ・ナーグパール(Apurv Nagpal)
監督・脚本:アパルナ・セン(Aparna Sen)
出演:ラーフル・ボース(Rahul Bose)、高久ちぐさ、ライマ・セン(Raima Sen)、モウスミ・チャタルジー(Moushumi Chatterjee)
音楽:サーガル・デサイ(Sagar Desai)
編集:ラビランジャン・マイトラ(Rabi Ranjan Maitra)
美術監督:マライ・バッタチャルヤ(Malay Bhattacharya)
撮影監督:アナイ・ゴスワミ(Anay Goswamy)
原作:クナル・バス(Kunal Basu)“The Japanese Wife”

*1:ロケ地はシュンドルボン(The Sundarbans)だそうだ。

*2:インド人は大多数が自由に英語を話せるのかと思っていたが、読む聞く話すの全てが自由にできるのは人口のごく一部に限られているらしい。デリーっ子の知人曰く、統計で英語の話せないインド人の多さに「私もびっくりしました」と。それだけ、大学に通って英語の話せる人と、英語に触れる機会の無いまま成人する人とは生活圏が重ならないということでもあるのだろう。

*3:Q&Aの時に客席から、やはり夫がインド人という女性が、インドの村では今でも実際にああした風習があり、とてもリアルに描かれていると感想を語っていた。