ケルビン・トン『すばらしき大世界』

 ファッション撮影専門のカメラマン・阿敏(オリビア・オン)は日本行きを控え、祖母が亡くなって看板を下ろすことになった写真館の片付けに向かう。入口に飾られた思い出の写真を見るうち、そこに映っている人々に写真を返そうと思いつく。阿民(周初明)という老人を尋ね当てた彼女は、彼の口からアミューズメントパーク「大世界」に集った人々の話を聞くのだった。阿民は大世界でLok Lok(楽楽、串焼き)の屋台を出しており、行き交う人々の物語を胸に収めていた。
 最初のパートは子供劇場の役者、親孝行なアブー(ヘンリー・ティア)の話。エリザベス・テイラーの大ファンの彼は、シンガポールにやって来た彼女と何とかして写真を撮りたいと思うが、座長にこっぴどく叱られて休みを貰えない。色々ドタバタがあって、阿敏の祖母の協力のもと、なんとかキス写真を撮ることに成功する。ヘンリー・ティアはジャック・ネオの映画でよく見かけるコメディ俳優だが、キッチュなおかしみと何ともいえないペーソスがあって好きだ。
 続いて射的の屋台の娘(Joanne Peh/白薇秀)とオイル売りの青年(Zhen Huan Zhang/張振寰)との恋。シンガポール娘は、マレーシアの田舎からやってきた青年をお化け屋敷でからかうが、彼はやがて兵役に就き、シンガポール公民となって再び彼女の前に現れるのだった。単純なラブロマンスだけれど、シンガポール人はマレーシア人をそんな風に見ていたのかという発見がある。
 三つ目のエピソードはフラミンゴ・ナイトクラブが舞台。落ち目の歌手・ローズ(向云)は、かつての恋人ヘンリーの訪れを十年も待ち続けているが、自暴自棄となってショーの質も落ち、客に見放されつつある。それがある夜、ドレッサーに指輪を見つけたことで、ヘンリーが求婚に来てくれたものと信じて輝くようなステージを見せる。『玫瑰玫瑰我愛你』『説不出的快活(ジャジャンボ)』といったナンバーは、それだけで何だかうきうきしてしまうので他はわりとどうでもよい(といいつつローズが気の毒で気の毒でこのパートは泣き通しだった)。本当にヘンリーが現れてしまい、どうなることかと思わせるが、終わりよければ全て良しというところか。タイの華僑についてはあまり良く知らないのだが、この頃に移住した人が多かったのだろうか?
 そして最後、狂言回しの阿民自身の結婚写真が現れる。口のきけない女性と結婚した彼は、祝いの席で互いの手のひらに字を書きながら幸せを噛みしめる。しかしまさにその夜、日本軍のシンガポール爆撃が始まり、明日をも知れぬ中でレストランの最高の食材や酒を全て蕩尽する勢いでの宴が始まる。このレストランの厨房では、海南人と潮州人が互いに相手の言葉を解さないフリをして都合の悪いことは聞かないことにするとか、シンガポール華人の言語状況が描かれていて面白い。もっとも、去年のアジアンクィア映画祭で上映された『當海南遇上潮州(海南、潮州と白いブラ)』では、海南人なのにほとんど海南語を話せない弟妹を姉が教育する場面があったし、今は二十代、三十代で方言を話せない人も増えているようだ。もっとも、福建語や広東語のようなわりと「大きい」方言は、話さないにしてもたいていの人が日常会話程度の聴き取りはできるような気がするが。*1
 ケルビン・トンの作品はたしか『メイド/冥土』と『1942 怨霊』(こちらは全編日本語で、『メイド』に比べるとどうしちゃったのとしか言いようのない出来)という二本のホラーしか観ていないが、こういうコメディの要素を含んだ作品も撮れるのか。シンガポール人には共通の記憶を呼び覚まされるところもあるだろうし、外国人が見てもちゃんと分かるように作られていて、娯楽作品として非常に楽しめた。しかしただひとつ残念なのは、日本で歌手デビューしているオリビアが舞台挨拶やQ&Aに出てくれるかと期待していたけれど当てが外れたこと…。
 Q&Aは監督ではなくプロデューサーの文樹森が登壇。大世界は全て二ヶ月かけてセットを組み、陸軍の施設内に復元したそうだ。しかし維持費の都合上、映画村のようにして残すわけにはゆかず、数日間市民に開放して思い出を探るよすがとし、それから解体せざるを得なかったとのこと。もったいない!
 続編としてタイガーバーム・ガーデンことハウパー・ヴィラを舞台にこういう映画ができないだろうか、とひそかに期待している。

原題:大世界/It’s A Great, Great World
製作年:2010
制作国:シンガポール
プロデューサー:シューサム・マン(Shu Sum Man/文樹森)
監督:ケルビン・トン(Kelvin Tong/唐永健)
脚本:ケルビン・トン、ケン・クェック(Ken Kwek)、マーカス・チン(Marcus Chin)
出演:オリビア・オン(Olivia Ong/王儷婷)、ナンシー・シッ(Nancy Sit/薛家燕)、ヘンリー・ティア(Henry Thia/程旭輝)、チェウ・チョーメン(Chew Chor Meng/周初明)、シアン・ユン(Yun Xiang/向云)
音楽:ジョーン・ン(Joe Ng)、アレックス・オー(Alex Oh)
編集:アズラエル・チュン(Azrael Chung)
美術:トーミー・チャン(Tommy Chan)
撮影:ワイイン・チウ(Wai Yin Chiu)

メイド 冥土 スペシャル・エディション [DVD]

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Best Of Olivia

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*1:そういえばシンガポールのバスで、隣に座ったおばちゃんに広東語と華語のちゃんぽんで話しかけられたことがあるけれど、どういうわけか普通に意味が分かって会話が成立した。多言語状況でずっと暮らしていると、言語の知識だけではなく、そういう勘が磨かれて意思疎通ができるようになるのかもしれない。