一毛不拔

  • 『警世通言』第二十八巻「白娘子永鎮雷峰塔」

姐夫姐姐聽得說罷,肚內暗自尋思道:“許宣日常一毛不拔,今日壞得些錢鈔,便要我替他討老小?”夫妻二人,你我相看,只不回話。
(姉夫婦は話を聞いてしまうと、腹の中でひそかに考えをめぐらせました。「許宣は日頃は自分の身体からは毛一本たりと抜かないほど吝嗇なのに、今日は散財したと思えば、縁談を世話してほしいということだったのか」夫婦は互いに顔を見合わせて、返事をしません)

 孟子・盡心上にも「楊子取為我,拔一毛而利天下不為也」という句があるけれど、これもやはり「天下のためになることは毛をひとすじ抜くことさえしない」と個人的な利害にとらわれて公益を顧みないというたとえのようだ。

父面を青くして、こは浅ましき事の出できつるかな。日来は一毛をもぬかざるが、何の報にてかう良からぬ心や出できぬらん。

 現代中国語でも旧白話でも、“一毛不拔”というのはケチなたとえで、「他人のものには毛筋ほども手をつけない」という意味で用いられているのは管見の限りではまだ無い。秋成は知っていてわざと逆の意味に使ったのか、それとも自制心が強く他人のものには手をつけないたとえとして、当時こういう言い回しがあったのか。
 ここ数年気にはなっているが、まだ答えを見出すことができない。『雨月物語』再読のついでに書き留めておく。