獅子文六『コーヒーと恋愛』

コーヒーと恋愛 (ちくま文庫)

コーヒーと恋愛 (ちくま文庫)

 

 獅子文六の小説はそういえば初めてだった。以前に読んだエッセイの印象があまり良くなくて、偏屈な蘊蓄たれの爺さんというイメージで食わず嫌いを決め込んでいたのだけれど、コーヒーの話なら、と何となく手に取った。
 思ったよりも男のダメさ加減が正当化されておらず、中年男女の恋愛というには何となく微温的なやりとりが続いた後に、女がさっぱりと自分で選択してしまう結末は好感が持てる。田辺聖子のハイミスものが好きな人なら口に合いそうだ。
 ところで、ディレクターの仕事が忙しいという話で、こんな描写がある。

 現代の日本でも、これほど忙がしい職業は、他にない。そして、これほど、頭と神経と、体を、酷使する商売はない。また、これほど、不規則な生活を強いられる月給取りもいない。半年もたたないうちに、誰も、ヘタヘタになってしまう、どんな悪人も、性根を失って、気のいい青年になってしまう。(56頁)

 ムリの連続と、疲労の蓄積が、テレビ・ディレクターを、職業病におとしいれるのである。テレビ病ともいい、マス・コミ病ともいうが、症状は、神経のイライラ、自信喪失、記憶朦朧、足がだるく、視力が弱く、そして、誰も彼も、胃弱となる。(57頁)

 この小説が書かれた頃は、テレビやマスコミ業界で働く人の職業病的な症状であったようだ。私は先日、あまりにイライラが続くので、更年期障害が始まったのかしらんと思っていたら、休みに入ったらいつのまにか消えたということがあり、この程度しか働いていなくても一丁前に疲れるものなのかと感心した記憶がある。それは私の日頃の怠け癖を証明するのがせいぜいだろうが、今のご時世に自分の稼ぎで食べている人で、上のような症状の無い人のほうがむしろ珍しいのではなかろうか。