藤村祐子、タイバ・スライマン編訳『レダン山のお姫様 マレーシアの昔話』

 マレー半島に伝わる民話を集めた、藤村祐子、タイバ・スライマン編訳『レダン山のお姫様 マレーシアの昔話』(Cerita-Cerita Rakyat Malaysia)(財団法人大同生命国際文化基金、2003)。現在のシンガポールに関する話も収録されている。
 「夢野久作」という筆名は、彼の郷里では夢ばかり見ている人のことをそう呼ぶところから来たというが、マレーシアでそれに相当するのは「マット・ジェニン」という民話の人物らしい。ココヤシの収穫中にとらぬ狸の皮算用で大金持ちになった夢を見る少年だが、夢想にのめりこんでいるうちに枝が折れて転落、気がついてみるとヤシの実はまだ売りに出してすらいなかったという話。
 また、鰐をだまして並べて対岸へ渡る豆ジカ君の話は因幡の白兎さながらだが、皮をひんむかれるウサギとはことなり、豆ジカ君はまんまと対岸でおいしいランブータンをたらふく食べて幸せに暮らすという結末。豆ジカは「ジャングルの王」の別名を有するそうで、民話では森の知恵者として性格づけられているようだ。「マメジカ」で画像検索しようとしたら「マメジカ ペット」とサジェストされるくらいかわいらしい、連れて帰りたくなるような生き物だが、なんとなく鳥のキウイのくちばしを取って四本足にしたらこんな感じになりそうな気もする。
 ポンティアナックの話もあるかと少し期待したが、妖怪や幽霊の話は見られない。だがそれ以上にぞっとしたのは人食い洞窟の話で始まる「ムローとプカン」。夫を亡くした妻は、悲しみにくれながらもひとりで懸命にムローとプカンの姉弟を育てている。ある日、川で魚を捕まえた彼女は、姉のムローに魚を煮て卵をフライにするように言いつける。「魚はプカンと分けてぜんぶ食べてもいいのよ。でも、卵は少しだけお母さんの分を残しておいてね」と言い残して。
 川へ洗濯に行った母は、普段は閉じている洞窟が口を開けているのに気づき、「のろわれた洞窟がお腹をすかせると口を開ける」という言い伝えを思い出す。

 マックタンジュンは川べりに座って汚れた服を洗い始めました。それから川に入って水浴びをすませると急いで家へ帰りました。とてもお腹がすいていたのです。ムローに頼んでおいた魚の卵のフライを思いだすと、もういても立ってもいられませんでした。家へ着くと同時に、マックタンジュンは台所へすっ飛んでいきました。ところが楽しみにしていた魚の卵のフライが見つかりません。
「あれはどこなの、ムロー」
「お母さん、ごめんなさい」
ムローが声を震わせて言いました。
「プカンがもっとほしいって泣いたの。身のほうをあげたら、卵しかいやだって、それは大声で泣くから、お母さんの分あげちゃったの」
 マックタンジュンはがっかりしたあまりに、思わず次のようなことを言ってしまいました。
「おまえたち、お母さんのこと、そんなに大切に思ってないのね。いいわ、そんならいっそのこと、あのお腹をすかせた洞窟に食べられてやる」(62-63頁)

 そして姉弟に心を残しながらも、吸いこまれるように洞窟に入ってしまうくだりが非常にリアルだ。卵のフライを子供たちが残しておいてくれなかった、なんて些細なことのようだが、夫を失ってひとりで子育てしていた母はきっと、表面張力でぎりぎり支えられているコップの水のように精一杯だったのだろうし、死につながる洞窟の口に気づいてしまったところに、ついに最後の一滴が加わって溢れてしまったのだろう。
 その後、姉の夢枕に立った母は、鶏卵を大事にするようにと言い、目覚めた姉は隣にあった卵を大事にあたため、やがてヒヨコは立派な闘鶏に育つ…という話だが、後半は遺された姉弟のその後をハッピーエンドにするために無理につけ足した感がある。しかし、堪えかねてぷつりと糸が切れたように去ってしまった母の物語に、ちゃんと子供たちが幸せになるような結末が足されたのだとしたら、そこに語り伝えた人たちの心が窺われるようにも思われる。
 ところで、この「アジアの現代文芸」シリーズはそういえば売っているのを見たことがない。販売ではなく全国の図書館・学校への寄贈によって読者に届けるという形態のようだ。
 以下、収録作品をメモしておく。

訳者紹介(小野沢純)

マリム・サクティ
石になった恩知らず
バワン姉妹
ムローとプカン
マラッカ物語
レダン山のお姫様
マースリの白い血
ラディン・マス・アユの伝説
獅子の街
メカジキの大群に襲われた島の話
シンガプーラの陥落
豆ジカ君とトラのお話
豆ジカ君とワニのお話
マット・ジェニン
ばかなパンディルおじさん
トゥンガル王
牙の生えた王様の話

解説
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