プリーチャー・スリスワン『浮家の子どもたち』(Floating village asylum、2020)

 アジアンドキュメンタリーズの配信最終日に視聴。タイ中部、ミャンマーと国境を接するサンクラブリー郡には、ミャンマーから渡って来たビルマ人・モン人・カレン人らが多く暮らす。この地域のランドマークの木造橋、モン・ブリッジ(ウッタマヌソン・ブリッジ)を歩いて渡る人々の姿から始まる。美しいダム湖は観光地であり、バードウォッチングに興じるツアー客の姿も映る。

 しかし、彼ら観光客の眼につかない水上家屋には、無国籍の移民が暮らしている。主に漁業で生計を立てているが、1キロあたり15バーツでは、生活がやっとだ。5月から9月の産卵期は水産資源保護のため禁漁となり、外に出稼ぎに行く大人が多い。ただし、タイの市民権を保有しない者は、県外への移動にも許可証を要する。

 ミャンマー出身の父ミ・テンは1988年のミャンマー民主化運動に参加した。まだ学生だった彼らは、死者の口に硬貨を含ませて葬る習慣に従い、死の覚悟を示すためにコインを口に含んで抗議運動の先頭に立ったという。しかし、当時の自分たちは「若く無知だった」し、ただスローガンを叫んでいただけだったと振り返る。教員たちは学生を先頭に立たせて盾にしたとも。

 結局、彼はタイに亡命するが、こうして政治的理由や生活苦からタイに流入した人口は、92年にタイ政府から「不法な難民」とされる。市民権取得のハードルは高く、タイ生まれだと証明される子供たちには市民権申請が可能だが、賄賂を求められる上、親が無国籍だと審査に非常な時間がかかる。

 サンクラブリー郡長がインタビューに応じ、賄賂や手続きの引き延ばしが行われるのは政府の責任だと明言するが、事態はなかなか改善されない。2010年代中盤からの取材で、結局ミ・テンの子供三人が市民権を取得するまでには四年間が費やされる。

 小学校ではタイの国旗を掲げ、給食の前には「タイ国民の12カ条」を唱えるが、児童の大半はミャンマー出身者の子らしい。民族別の色の服で登校するよう定められた日があるそうで、教員が服装をチェックするが、指定の服装を用意できない子供も多い。教員も事情は分かっているが、服装違反の子供たちを前に並ばせ、形式的に鞭で尻を叩く。叩かれた児童は合掌して感謝するのがタイの決まりのようだ。

 漁業の様子も映るが、エンジンも積まない木造ボートで漕ぎ出し、投網や刺し網で小さな魚を捕るもの。分かってはいても禁漁期間に夜の闇に紛れて出漁し、摘発されることもある。水産資源保護というのは、単に法律を整備して禁漁期間を定めるだけでは不十分で、漁民の生計を充分に考慮しなければ、無理無体な禁漁令の押しつけと変わらないということが見える。

 捕れた魚は自宅で女性と子供が総出でうろこを取ってわたを出し、買い取りに出す。幼児も包丁を握って、いたずらしているのか手伝っているのか怪しいような手つきで魚を叩いている。加工用なのだろうが、そこから先は水産加工場で作業されるのか、何に加工されるのかは映されない。

 食事はめいめいの平皿に米飯をよそい、大皿から野菜のおかずを取り分け、家族で床に座って右手で食べるスタイル。野菜を買って家で調理したものを食べるというそれだけのことだが、出来合いの惣菜や弁当、加工食品や半加工食品をレンジにかけるだけという食生活が常態化した目には、とても豊かな食事風景として映る。玄関先に吊るして自家製の干物が作られているが、恐らくそれをちぎって祖父が子供たちに分ける何気ない様子が映る。その食事を用意するための労苦や、女たちが恐らく一日中休みなく様々な家事に立ち働いていることを考えても、そうして生活を整えようとする情熱の尊さが思われる。

 いつかは家族のいるミャンマーに帰りたい、賃金は高くてもタイでずっと暮らしたいとは思わないという男性の言葉が続いた後、タイ生まれで無国籍の女性がふと漏らす言葉が終盤に編集されている。「ミャンマーでは何を食べて、どんな生活をしているのかしらね」。市民権を得られなければ家を持つこともできず、合法脱法の手段で海外に出稼ぎに行ったところで、現在の暮らしから抜け出すことはできない。自分たちについては諦めているが、子供たちには市民権を取らせたいと皆が考えている。

 過酷な記憶を語る時、現在の暮らしの辛さを語る時、女たちは笑う。気の強そうな老女はバンコクに出稼ぎに行って摘発された経験を語る。モン族かと聞かれたがタイ語が分からず、連行されて森の中に放り出された、幸い耕作放棄されたキュウリ畑があったので飢えをしのげたと言いながら、彼女は笑う。ミャンマーで小学校に物売りに行っていた女性は、すぐ外で攻撃があった時のことを語る。おじさんが歩いていたところ、頭に銃弾を受けて即死だったという。「小学校の子供たちが泣くやわめくやでね」と笑う。「学校の先生に通学を証明してもらうといいってことは知ってるけど、役所の手続きは私にもわかんないわ」「子供にはなんとかして市民権を取らせたくて」「そうだよね、みんなそうだよ、子供にだけはね」そして笑う。笑いの中に何かを閉じ込めようとしているようでもあり、共感を受け止めたというしるしのようでもある。笑いによって一段落する語りと、カメラによる観察の視線を受けとめながら、語り手と聞き手が共にある空間がそこに生まれていることが記録されている。