ジョー・ピスカテラ 『#シカゴガール ネットVS独裁者』(#chicagoGirl: The Social Network Takes on a Dictator、2013)

 サマル・ヤズベク『無の国の門』を読んでから、シリア革命当時のドキュメンタリーを観る。アジアンドキュメンタリーズ配信。

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 アーラはシリア生まれでシカゴ在住の19歳。2011年からシカゴでデモを組織するだけでなく、アサド政権打倒に向けて国内で活動する人々を、オンラインで結びつけるハブの役割を果たしている。友人と遊ぶこともほとんどなくなり、大学での授業中も携帯から目を離せず、常にシリアから発信される情報に目を配っている。シカゴガールのハンドルネームで活動していた彼女だが、やがて大学の付近でシリア政府の関係者が自分を監視していることに気付く。キャンパスへの出入りに際しては大学当局の警備対象となって身の安全は守られるが、他方シリアで活動する若者たちは随時拘束の危険の下にある。

 FacebookTwitter が人々をつなぐ力を持っていた10年少々前の話。デモの情報は一部の信頼できる人々の輪から、アーラを経由して別のグループへとつながり、一つの運動になってゆく。市民記者たちが危険を冒して撮影した映像も、加工されたものではなく、少なくともある時ある場所で実際に起きた出来事として受け取ることができた、ディープフェイク以前の時代だ。

 革命をリードしていた青年たちは、あるいは政府軍に射殺され、あるいはカメラを銃に持ち替えた後、戦闘中に命を落とす。ネット越しの関係ではあったが、革命が成功したら会いたい人のリストに入っていた友人の死に、アーラは大きなショックを受ける。

 アーラの父も反体制派で、心配しつつも娘の活動をサポートしている。内戦の激化に伴い、アーラはネットでの活動だけではなく、シリアに渡り仲間に医薬品などの物資を届けに行くことにする。幸い複数回にわたる渡航で彼女は無事に目的を果たすことができた。

 ソーシャルメディアが同じ信念を持つ人々を結びつけた「アラブの春」当時からすると、インターネットで可視化される風景の変容には隔世の感がある。純粋すぎるとすら思われる希望が、無惨に潰える過程は、ネットのシニシズムに慣れすぎた今から振り返ると、いっそうやるせない。

 

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