最初のヒップホップグループが歌ったのは、なんとナツァグドルジの『わが故郷』。近代モンゴル文学の定番の詩だ。ソ連の影響下から脱しようという動きを反映してか、モンゴル人意識に訴える曲が相次ぐ。ソ連時代の歴史ではなく、チンギス・ハーンからモンゴルの歴史を歌う曲は、子供たちにモンゴルの歴史を知らせる目的だという。
ウランバートルにはゲル地区と呼ばれる、簡素な住宅の並ぶ地区があり、そこはバラックの間に本当にゲルも張ってある。主に都市に流入した身分証を持たない人々の暮らす貧困地区で、治安の悪さが政治的課題でもある。社会主義時代の検閲がなくなり、こうしたストリートで少年少女が日常の不満をリズムに乗せて歌うのも、モンゴルのヒップホップの舞台になる。
しかし、金がなければスタジオも使えないし、大規模なライブもできない。ヒップホップ黎明期の大物にはスポンサーを得て、プロモーションに協力することで活動資金を得ている者もいる。当然、ゲル地区のラッパーからは、商業主義的だと唾棄される。
繰り返し取り上げられるのはアルコールの問題だ。アルコール依存症の蔓延が社会問題となっているが、依存症患者は白い目を向けられ、あたかも人間ではないかのような視線が投げかけられるという。こうした人々を人間として扱うよう呼びかける詞も見られる。
男性中心のヒップホップ・シーンで、「女王」と呼ばれるのがGenee。祖母が民謡歌手であるという彼女は、幼い頃からモンゴルの伝統音楽に親しんできた。彼女が台所で調理をするシーンから、包丁の音、鍋釜の触れ合う音がしだいに一つのリズムを刻み、音楽となってゆく演出が面白い。彼女に関しては、ヒップホップ・アーティストとしてのインタビューシーンより、家庭の生活を撮るシーンが多い。撮影期間は数年間にわたるようだが、アートとは無縁の建設業界の男性と結婚し、一児を育てながらフランスツアーに参加する様子が映される。学校を出てから会社勤めをし、毎日出勤する生活をしていれば、生活は豊かだっただろうと回想する。ゲル地区の家は不便なこともあるといいながら、音楽の道に進んだことには満足そうだ。彼女自身は祖父母のもとで仏教徒として育てられたが、寺参りして読経するほど信心深くはない。しかし夫は元僧侶である由。
一方、商業主義に抗し、あくまでゲル地区の生活者としてヒップホップを実践しているGeeは、銀のペンダントをジャラジャラさせているが、それは家伝のシャーマニズムのお守りだという。チベット仏教のほか、伝統のシャーマニズムが民主化後再び脚光を浴びている由。彼は音楽で経済的利益を得ることは考えておらず、母の店を手伝って商品を仕入れ、荷運びをすることに充実感を覚えている。社会主義的労働観の中で小学校時代を送った世代の感覚でもあるだろうし、家族の生活信念でもあるだろう。彼はゲル地区に暮らすが、家の中は清潔に整え、テレビ(撮影当時はまだブラウン管だ)にも刺繍のカバーを掛けている。誰もが顔見知りでコミュニティが根づいているこの地区から離れたくないという。
しかし、治安の悪いスラムと見なされているゲル地区にまでたどり着けない人々もいるほど、経済格差は深刻だ。ゲル地区で暮らす家族へのインタビューでは、もともとゴミ捨て場で暮らしていたと語られる。家もないのでビニールシートで雨露をしのいでいたが、衛生的にも問題だし、子供をこんな環境で育てたくないと、ゲル地区に引っ越してきたという。父の目標は家に電気を引き、テレビを見られるようにすること。2012年の時点では、ウランバートル市内でも電気を引けない世帯が多かったようだが、この家族は今はどうしているだろう? 移住してきても、収入源はやはりゴミ拾いだ。ここでもガラス瓶を分別するカランという音がリズムを刻み、音楽になる。
モンゴルのヒップホップは、外来の音楽であると同時に、伝統音楽の中にそれを育む土壌があることが再三示される。伝統音楽の老歌手は、ナーダムで歌われる馬の褒め歌のような即興的韻文を例に、リズムを変えればヒップホップになるという。シャーマンは自分たちの儀礼と、アメリカ黒人のシャーマニズムやダンスとの共通点を語り、ヒップホップへの親しみを表す。ここで人骨を用いた楽器が二種類示されるのには驚かされる。一つはダマルと呼ばれる二面のでんでん太鼓で、18歳の女性の頭蓋骨から作ったのだという。シャーマン曰く、人に憑いた悪霊を追い出す働きがあり、後にチベット仏教にも取り入れられたとか。また、大腿骨の笛も18歳の女性の骨だという。おそらく処女のまま亡くなった女性の骨に霊力を求めるということなのだろう。