ミシェル・ゴンドリー他『Tokyo!』

TOKYO!

TOKYO!

 

 ミシェル・ゴンドリーレオス・カラックスポン・ジュノによるオムニバス作品。海外の監督3人がそれぞれ脚本を準備し、東京を舞台に撮ったもので、スタッフを見るとどのパートも助監督には日本人がついており、撮影クルーはどの現場も日本側スタッフが大半だったのかもしれない。外国人の見た東京という点でいえば、ご多分に漏れず東京は「ヘンタイ」の街で、こんな環境では誰もがヘンタイになってしまう、という前提が共有されている気がする。多少誇張されている部分もあるが(礼金・敷金・手数料込みで40万も初期費用を取るなら、いくら23区内でももう少しマシな部屋が借りられるだろう、とか)、ミシェル・ゴンドリーは自身が相当変態性が高い気がするので、世界中どこで撮ってもあんな感じだろう、などと考えると、だんだんに現実の東京もまあこんなもんかなあという気がして来る。

高校時代の友人アケミ(伊藤歩)を頼って大雨の中をヒロコ(藤谷文子)とアキラ(加瀬亮)のカップルが上京してきたところから始まる。映画監督志望のアキラは眠くなるようなSFを撮って、ポルノ映画館で上映会を開いたりしているが、『恋愛睡眠のすすめ』のガエル・ガルシア・ベルナルのような自分の世界に生きていて取り扱いが面倒くさいタイプ。日本映画のカップルの会話というと、なんだかお互いに変な気を遣い合って、互いに甘やかし合っているような気持ち悪さが感じられることが多いのだが、このカップルもちょっとそんな感じだ。だんだんうんざりしてきて、こんな男のどこがいいんだろう、さっさと別れて実家に帰ればいいのに、と無責任に考えているうちに、ヒロコの胸が空洞になってしまう。『空気人形』は外側が人間の姿で、でも中は空気しか入っていなかったが、こちらは逆に骨しか残らず、とうとう木製の椅子になってしまうという趣向。通りすがりの男に拾われて、彼の部屋で椅子として暮らすことになる。男が出かけてしまうとこっそり人間の姿に戻り、朝食の片付けをしたり手紙を書きかけてやめたりしている。乱歩の『人間椅子』のような気色悪さはきれいに排除され、女の椅子に男が腰を下ろしても肉体的な生々しい接触の感覚は描かれない。男が帰宅して、風呂場から歌声が聞こえるので覗いてみると、バスタブに椅子が浸かって湯がちゃぷちゃぷしている、というようなかわいらしい描写があるくらいだ。(これは原作にもあるカット)
 しかし、筒井康隆の小説に、役立たずと認定された者のところには赤紙よろしく緑の通知が送られ、指定された場所で樹木となることを命じられるとかいう設定があったが、食ってゆけなくなったら「お願いです、樹にしてください」とか「椅子になりたいんです」と願い出て姿を変えてもらうことができたら、世の中だいぶ楽だろうになどと考える。
 アメリカの漫画家ガブリエル・ベル(Gabrielle Bell)の『Cecil and Jordan in New York』を原作とし、脚本はゴンドリーとベルの共同になる由。原作のコミック(というより絵本のようなコマ割)はDrawn & Quarterly社のベルのページでPDF形式で立ち読みできる。あっけないくらい短いが、映画は原作そのものでちょっと驚く。

 緑の服をまとった、赤毛で片目が白濁した怪人が下水道から出現する。銀座の街をゴジラのテーマ曲に合わせて歩く異形の男は、通行人の松葉杖や財布をひったくり、鉢植えから花を根こそぎにし、紙幣をくちゃくちゃと囓りながら無言で歩く。*1
 ゴジラと同じく東京のランドマーク的なところに現れるわけで、銀座の次は渋谷が設定されている。銀座では通行人から物を引ったくったり、女子高生の脇の下を舐めたり(舐められた方も怖がっているふりをしつつ実は結構ネタになって嬉しそうだったりする)する程度で、気味は悪いがさほどの実害は無い。遭遇した人々も、怖かったとは言いつつも非日常との遭遇に興奮しているようだ。だが銀座から地下に潜った後、下水道で怪人は旧日本軍の残した手榴弾を発見、渋谷駅南口の歩道橋を歩きながら無差別に投げ始める。当然あたりには死屍累々の地獄絵図が繰り広げられる。無差別殺人の現場として、渋谷というのは海外向けには秋葉原よりインパクトがありそうだ。
 下水道捜索の末、花を隣に横たえて裸で眠っている怪人が発見され、逮捕と相成る。しかし問題は彼の言葉を誰も理解せず、身元も分からないということ。なぜか報道を見たフランスの弁護士がやって来て、彼とは面識が無いが話が通じると言い出し、接見の末に弁護を引き受ける。彼らは話が通じているということにはなっているものの、本当に通じているのか、弁護士がフランス語に訳しているのはどこまで本当なのか怪しい気がする。
 それにしても、怪人メルドは全世界で話者が3人しか確認されていないという希少な言語でしか交流に応じないのだが、出身やなぜ日本に来たのかといった背景は一切問われない。現実にこうした貴重なインフォーマントが死刑に瀕した場合、言語学的見地から執行を延期するなどという酌量はさすがに無いだろうが、言語学者が面会に押し寄せたりということは無いのだろうか。
 メルドの台詞で「日本人の目は女性器のようで醜い」という斬新な比喩があった。今ひとつピンと来ないが、フランス語には東洋人の目をカントに喩える言い回しがあるのだろうか?
 ラストは次回はメルドがニューヨークに現れることを予告するものだったけれど、これはシリーズ化して世界各地に登場させると面白いかもしれない。もっとも下水道が整備された都市に限られるわけだが。そして一番見たいのは「メルド、故郷に帰る」である。

 十年間家から一歩も出ずに、父親が送ってくる金で暮らしている男(香川照之)が、ピザの配達が来たときにたまたま地震が起こったのを機に、配達員の少女(蒼井優)に会いたい一心で玄関から踏み出す。
 配達員として現れた竹中直人がいきなり家に上がり込み、電話で相手を怒鳴りつける場面があるのだけれど、てっきりここからぞろぞろ色んな配達員が家にやって来て、家屋を乗っ取られてしまい、香川照之は外で寝るしかなくなる…という話かと期待したが全然違った。
 香川照之蒼井優の組み合わせは、あまりに「いかにも」すぎて、同じアオイでも私なら蒼井そらの方が好みだけど、とか、安藤サクラ(というか『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』のカヨちゃん)がピザ持って現れたら面白いのに、と考えてしまった。しかし2008年の作品だが、東京に地震という趣向はあまりに現実味がありすぎて今後はうかつに使えないかもしれない。

Cecil and Jordan in New York

Cecil and Jordan in New York

 

原題:Tokyo!
制作年:2008
制作国:フランス・韓国・ドイツ・日本
監督:ミシェル・ゴンドリーMichel Gondry)、レオス・カラックス(Leos Carax)、ポン・ジュノ(Bong Joon-ho)
出演:藤谷文子加瀬亮、ドゥニ・ラヴァン(Denis Lavant)、ジャン=フランソワ・バルメール(Jean-François Balmer)、香川照之蒼井優竹中直人

*1:この銀座中央通りのシーンはかなりの長回しだが、あんな人通りの多いところでよく人払いができたものだ。