アマド・V・ヘルナンデス『鰐の涙』

 フィリピンのアマド・V・ヘルナンデス(Amado V. Hernandez)(1903〜1970)、『鰐の涙』(LUHA NG BUWAYA)読了。大同文化基金の「アジアの現代文芸シリーズ」の一冊。
 戦後のルソン島、サンピロンという一時は日本軍に占領された経験を持つ町を舞台として、地主と小作人、それから公有地に無断で居住する(せざるを得ない)スクウォターと呼ばれる貧しい人々の対立が描かれる。
 百姓と油は搾れるだけ搾れ、を地でゆく地主の奥方、ドニャ・レオナを人々は強欲な鰐と当てこする。鰐は尻尾で泣き声のような音を立てて、獲物をおびき出しては殺すと言われている。
 持てる者を悪、持たざる者を善として、バンドンという若い教師を中心に資本を持たざる人々が支援を経て経済的自立を志す過程が描かれるが、基本的に勧善懲悪のストーリー。地主夫婦は強欲だし、その子供たちは都会の大学に通って遊びを覚えて帰郷する。地主一家の栄耀栄華はこのパーティーの狂騒と享楽を頂点とし、使用人の裏切りを発端に、夫妻の所有する土地は本来正当な所有者から不当に奪われたものであるとの訴訟が起こされ、急転直下の転落劇となる。
 悪辣な地主や、おべっか犬のような使用人といった醜くデフォルメされた人物像は描かれるものの、そこまで極端な描写は無く、上品な筆の運び。美貌の少女ピナをめぐる、主人公のバンドンと恋敵とのさや当てもメロドラマの要素を押さえているし、映画にしたら胸のすくような快作になるだろう。
 ところで、訳者の蜂谷純子さんは、1975年、39歳で夫のフィリピン赴任を機に英語を学び、後にカルチャーセンターでタガログ語講座を受講、現地の学校に通ったりしてフィリピンを深く知るようになったという。四十歳を間近にして語学に取り組み、新しい言語を学び訳書を出すに至る、という根気には頭が下がる。

アマド・V・ヘルナンデス(蜂谷純子訳)『鰐の涙』(財団法人 大同生命国際文化基金 (1997-03-30))