イェジー・スコリモフスキー『エッセンシャル・キリング』

エッセンシャル・キリング [DVD]

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 渋谷・イメージフォーラムで最終日に駆け込み。
 アメリカの兵士三人が、地雷探知機を手にアフガニスタンの砂漠地帯を徒歩で移動している。極秘任務で何かを捜索しているらしく、上空からは米軍ヘリが援護する。このアメリカ軍人の会話があまりに下劣で、いかにも私のイメージするステレオタイプの米軍兵士そのままだと苦笑。そこに緊張しきったゲリラ兵士(ヴィンセント・ギャロ)が現れ、三人に見つかりそうになって爆殺してしまう。当然ヘリによる追撃を受け、すぐ近くに着弾した砲弾で聴力を失ったところを生け捕りにされる。
 耳の中でウォーンウォーンと何かが響いていて外の声はよく聞こえない、その非常に不快な感覚が再現されており、彼が尋問を受け拷問に遭うあたりはちょっと映画館を出たくなるくらい身体的に辛かった。手持ちカメラのぶれで酔いかけたせいもあるが。
 どこかに移送される途中で移送車が転倒して主人公は脱出する。それからというもの、出逢う者出逢う者を次々と殺して逃亡を続ける。最初に遭遇したのは、大音量で音楽を流しながら車を止めて携帯で会話しているアメリカ人らしい男二人。妻から妊娠したとの知らせを電話で受けているので、長期出張か何かで国を離れて来ているようだ。この二人を殺して衣服を奪い、目立つ囚人服から着替えると車を運転して立ち去る。それから雪山を逃げ続けるが、場所はどこなのか判然としない。樹木の伐採をする業者たちが話しているのがロシア語のように聞こえたので、最初はアフガニスタンからロシア領内に移送されたのかとも思ったが、データを確認するとポーランド語とのこと。ロケ地はノルウェーだそうだが、アフガニスタンのゲリラをポーランドに移送するというようなことがあるのか、このあたりはよく分からない。
 分からないと言えば主人公の設定も何も情報が無く、何語を話す人間なのかも定かではない。回想シーンに現れる乳飲み子を抱いた妻の姿は、どうもアフガン女性ではないようなので、国境を越えてイスラーム武装組織に参加したと考えられる。*1 しかも演じているのがヴィンセント・ギャロというのもまた不思議だが、シチリア系の彼は鬚を生やすとそれなりにアラブ人らしい雰囲気になる。ただひたすら逃げ、飢えをしのぐという本能的な行動の中には、文化的な要素が介入する余地が無いせいか、それほど違和感は無かった。時々コーランの朗唱を背景に回想シーンが挿入されるが、過去だけではなくてわずか先の未来も紛れ込んでいるようだ。しかし回想とは言っても、彼の暮らした街と思しき場所が映るくらいで、どういう経緯で戦いに参加したのかといった情報は一切提示されない。
 逃亡を続ける彼は次第に飢えで目がかすみ、妻の姿を幻視したりするようになる。樹皮をかじり蟻塚を掘り返し、わずかに枝に実った果実を口にしながらも飢えに追いつめられる中で、最後には授乳する母親(クラウディア・カーカ)を襲って乳を吸うという行動に出る。凍結した道を乳飲み子を懐に自転車で走る母親のたくましさにも驚いたが、自転車の籠には買い物袋が入っていて、探せば何か食糧もあるだろうに、思わず乳房に吸い付いてしまうところはただの飢餓による錯乱でも済ませられない鬼気迫るものがある。
 彼が野犬に取り囲まれる箇所は、ロメオ・カステルッチの『神曲』地獄篇の冒頭にもやはり倒れた男が犬に囲まれ噛みつかれる場面があったのを想起させる。何か宗教的寓意があるのだろうか。耳の聞こえない女性(エマニュエル・セニエ)の小屋に到達したところで、暖炉の火の燃える暖かさにこちらまでほっとした。最後は女性の助けを借りて「旅立つ」(彼の吐いた血が馬の背を赤く染めるが、結局馬を残してどの目的地に向かったのかは映らない)というのも、『神曲』と響き合うように思われるといったら穿ちすぎだろうか。
 しかしスコリモフスキの作品は初期の『身分証明書』『不戦勝』、下ってこの『エッセンシャル・キリング』と観たけれど、どうも相性が良くないのか今ひとつピンと来ない感じ。『アンナと過ごした四日間』はまた違うだろうか?ポーランドについてあまり知らないために見落としている部分があるのかとも思うが、特に本作などはアラブ諸国の人やそれ以外でもイスラム教徒はどういう風に観るのか気になる。

原題:Essential Killing
製作年:2010
制作国:ポーランドノルウェーアイルランドハンガリー
プロデューサー:ジェレミー・トーマス(Jeremy Thomas)、アンドリュー・ロウ(Andrew Lowe)
監督:イェジー・スコリモフスキー(Jerzy Skolimowski)
脚本:イェジー・スコリモフスキー(Jerzy Skolimowski)、エヴァ・ピャスコフスカ(Ewa Piaskowska)
出演:ヴィンセント・ギャロVincent Gallo)、エマニュエル・セニエ(Emmanuelle Seigner)、クラウディア・カーカ (Klaudia Kaca)
音楽:パヴェウ・ミキーティン(Pawel Mykietyn)
編集:レーカ・レムヘニュイ(Réka Lemhényi)
美術:ヨアンナ・カチンスカ(Joanna Kaczynska)
撮影:アダム・シコラ(Adam Sikora)

アンナと過ごした4日間 [DVD]

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*1:ロケ地はイスラエルとのことだが、パレスチナ出身という設定か?