杉本つとむ『馬琴、滝沢瑣吉とその言語生活』

馬琴、滝沢瑣吉とその言語生活

馬琴、滝沢瑣吉とその言語生活

 

 作家の言語生活という側面から、特に語彙に注目して馬琴の日記を読み解いた書。
 現代語のうち「結納」のように江戸語に遡れる語彙では、『日本国語大辞典』にも明治以降の用例しか無かったり、『江戸語の辞典』にも収録されていなかったりするものがあるなど、現代の辞典が江戸時代の漢語や「漢字語」(和製漢語)を忽視していることが指摘される。日国はおおむね見つかっている限り最古の用例が採択されているものと思い込んでいたが、近世の用例に関してはあまり信を置きすぎてもいけないようだ。

 江戸語は戯作関係を主とする従来のことば調べでは、馬琴のようなインテリ階級の常用語が結果的に排除されていて、江戸−東京へ受け継がれた教養ある人びとのことば、漢語や漢字語が欠落する結果になるわけです。(94頁)

 確かにたまに江戸の読本などを読もうと思うと、私の経験からいっても辞書を引くのに一番困るのは漢語・「漢字語」かもしれない。それでも漢籍に用例があれば、少なくとも本来の意味は探し出せるし、白話語彙も最近は中国で色々な工具書が出て比較的容易に用例を確認できるようになっているが(それが日本でも同じ意味で用いられたかどうかはまた点検が必要だが)、日本で作られた「漢字語」となると、とりあえず自分で用例を控えておいて、他のテキストでの再会を期すことになるケースが多い。辞書の引き方がよくないのかと思っていたが、必ずしもそればかりではないようだ。*1

 いくつか教えられた点をメモ。

〈入湯〉も語としてはよく理解できるのですが、現代の〈入浴〉という語に相当します。現代語の入湯は、『広辞苑』に〈湯に入浴すること、特に温泉に入って保養すること〉と説明する点からいえば、江戸に限定された用法といえそうです。『研究社国語新辞典』は、〈温泉に行って湯につかること〉とのみ解説しています。馬琴の場合は、銭湯にはいることです。これは『耳嚢』などにもみえますから、当時一般に、銭湯に入ることに用いたわけです。(90頁)

 新藤兼人の映画『陸に上がった軍艦』(山本保博監督)で「入湯外出」ということばを覚えた。軍隊用語だから明治に入って作られたことばかと思っていたが、馬琴の頃にまで遡れるとは。
 また、馬琴が購入を検討した家屋について、

さらに驚くことは、売主が〈長崎通辞〉ということです。〈老父は外科〉ともありますから、さしあたっては長崎蘭通詞のうち大通詞で、外科医でもあった吉雄耕牛あたりが比定できそうです。もっともこの時点では志望していますので、実際の所有者は子の如淵(権之助)でしょう。先にも長崎屋や紅毛人参府のことを記述していますが、長崎通詞が江戸に別宅、寓居をもち、こうした豪邸を建築していたことが判明します。江戸の諺に、〈大通詞の台所〉(『諺苑』)があります。やはり通詞は巨大な蓄財をもちあわせていたのでしょう。その側面的な資料を『日記』はみせるわけです。(99頁)

 たしか岡島冠山が唐通事の職を辞したのは生計が成り立たないからだった、という話をどこかで読んで、通訳というのは難儀な割に儲からない商売だと思った記憶があるが、下っ端の唐通事が安月給だっただけで、オランダ通詞でしかも大通詞ともなればかなり収入があったのか。あるいは正規の収入のほかにマージンを取ったりもできたのだろうか?もっとも、冠山が通詞をしていたのはおそらくこの日記(文政十二年/1829)より百年以上前のことだから、その間に通事の懐事情も変わっていたと見るほうが自然かもしれない。いずれ確認しておきたい。

*1:そういえば『新潮日本語漢字辞典』というのも近現代文学からの用例で、江戸の用例を揃えてあったら便利なのにと思うことがある。『江戸明治唐話用例辞典』は白話語彙だから和製漢語は含まれていないし。