陳培豊『日本統治と植民地漢文 台湾における漢文の境界と想像』

日本統治と植民地漢文―台湾における漢文の境界と想像

日本統治と植民地漢文―台湾における漢文の境界と想像

 

  陳培豊『日本統治と植民地漢文 台湾における漢文の境界と想像』(三元社、2012)。目次を見たら「「クレオール化」した漢文への想像と境界」という章があったので、気になって読んでみた。漢文と「クレオール」の結びつきを目にしたのは初めてではなくて、『「訓読」論』所収の高津孝「ピジンクレオール語としての「訓読」」でも「異言語間の接触面に生ずる一現象」として訓読が捉えられていたが、台湾の「クレオール現象」はいっそう複雑になるようだ。
 植民地で生まれるクレオール語とは、通常話し言葉であるが、ここでの「クレオール現象」は文体の混成現象を指している。日清戦争後、台湾では日本式の漢字漢文、支那式の漢字漢文(正則漢文)、台湾式の漢字漢文の混在する混成漢文(植民地漢文)がメディア用語・文学用語として流通するようになった。一九二〇年代には中国で発生した白話文運動の影響を受け、北京語に基づいた中国白話文も取り込まれる。さらに三〇年代に至り、台湾でも言文一致を目指す台湾話文運動が生まれ、書きことばとして閩南語を用いることが主張される。本書の狙いは、これらの植民地台湾で用いられた混成的な文体を分析概念として「植民地漢文」と総称し、各文体の背後の意味を掬い上げることにより、「東アジアにおける漢字漢文の文化的意義、また近代における台湾人の精神文化史を再現すること」(31頁)とされる。
 二〇年代にもたらされた中国白話文も、台湾ではそのまま大陸と同じ文体として定着したわけではなかった。それは日清戦争後のクレオール現象によりもたらされた植民地漢文を、北京語風に真似て書いた文体であり、本書では大陸の白話文との相違を示すために「中国白話文」と括弧付きで記されている。この文体によって、台湾人自らが植民地漢文に対して境界を作り、支配者である日本から距離を取ると同時に、植民地漢文に内包された啓蒙的・進歩的イメージを「祖国」に結びつけたという。
 第四章「「中国白話文」と台湾話文の境界」で、叙事の部分を「中国白話文」で、会話文を台湾話文(台湾語/閩南語)で記す「一篇多語」の例に、朱點人「秋信」という作品が挙げられている。

不去是真可惜的!別莊我不知,單就我們的莊里,沒有一家無人去看的!聽說團體很多,說不定臨時火車又要滿員(客滿)了。陳秀才!做人無幾時,你的年紀有這樣老了,今日不看,要待何時!來去看好啦,多看一番光景,豈不好嗎

 太字の部分が台湾話文ということだが、最初の“不去是真可惜的”なんて、「行かないのはもったいない」の日本語に引きずられて私もつい言ってしまいそうだ、というより全く違和感を持たなかった。中国白話文ではどう表現するのか、“是〜的”の構文を用いるのがおかしいのか、それとも“不去白不去”のように全く違う言い方に変えるのだろうか(ちょっとニュアンスが違うような気もするが)。また、最後の“多看一番光景,豈不好嗎”は、話し言葉なら“豈”より“難道”かとも思うが、台湾語を知らない者にとっては言われなければ台湾語らしいと気づかないかもしれない。
 現在の台湾のメディアで用いられる中国語文体は、大陸のそれとは明らかに異なり、書面語的な語彙が多い。それは文言から白話に転換する段階で、文言的要素が大陸より多く残った(大陸では共産党の政策もあって平易で口語的な表現へといっそうラディカルに変化した)のだろうと思っていたが、日本統治下での文体の複雑性を考えると、どうやらそんな単純な問題ではないらしい。上の“豈”はともかくとして、台湾の新聞でよく見出しに用いられる“亦”の字を見て私は書面語(寄りの)語彙だと認識するが、台湾語では“也”のように話し言葉で用いる語彙でもあるようなので、台湾の読者にとってはそれほど硬い表現とは受け取られない、という可能性も出てくる。
 本書の問題意識は日本統治期の文体にあるため、戦後については最後にちらりと紹介されるのみだが、そこから先がどんな風に現在につながってくるのか知りたくなる。
 台湾語のみの文学作品は、台湾語書籍を扱う台北の書店で見かけたことがあるが、やはりどこの書店でも扱われるような品ではないようだ。だが、会話文などを台湾語で記した小説はよく目にする。張輝誠はかなり様々な文体を取り込んでいる作家という印象を持っているが、『我的心肝阿母』ではお母さんとのやりとりを全て台湾語で書いており、それも台湾語は分からなくても何となくニュアンスがわかってくすりとさせられるような場面が幾つもあった。こういった文体の混在も、王禎和の頃に端を発するのかと漠然と思っていたが、そのずっと前からの蓄積があったわけだ。

「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語

「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語