コレット『わたしの修業時代』

わたしの修業時代 (ちくま文庫)

わたしの修業時代 (ちくま文庫)

 

ひとつの愛が、本当にはじめての愛である場合、それがいつの日に、いかなる罪咎によって死んだのかを断言することはむずかしい。じっさいわたしたちが眠っているときに、失われたはじめての愛を甦らせる夢というものは、その執念ぶかさにおいて桁はずれなのであり、これに匹敵するものといえば悪夢しかない、中学校の新学期のこととか、口頭試問のこととか、青年も八十の老人も同じように悩まされる、あの悪夢しかないのである。(218頁)


 二十歳で結婚、ブルゴーニュの村から十五歳年長の夫ムッシュー・ウィリーについてパリに出たコレット(1873−1954)が、三十三歳で夫と別居するまでの生活を振り返った回想録。1936年に上梓されたというなので、六十歳を越えてからの執筆ということになる。
 夫はいちおう作家ではあるものの、幾人ものゴーストライターを雇って書かせており、やがてコレットもその一人として筆をとることになる。彼女が書いているということは夫婦しか知らない秘密で、最初のうちは匿名という気安さもあり、「ちょっときわどい悪戯のような感じがして面白かった(104頁)」コレットだが、次第に夫は何かに急き立てられるような過剰な焦燥に駆られ、外から鍵の掛かる部屋に彼女を押し込めて毎日書かせるようになる。
 「会社の奴隷になるのと夫の奴隷になるのとどっちがマシか」などと冗談で言ったりすることがあるが、会社(雇い主)が同時に夫も兼ねているということになると悲惨だ。もっとも、ムッシュー・ウィリーは自身ゆたかな才能を持ちながら、どうしたわけか小説は自分で書こうとしなかったというが、編集者としては抜群の腕の持ち主で、こうした息の詰まるような生活の中でコレットは小説家に育っていったということらしい。
 コレットが夫の名で発表した、クロディーヌという娘を主人公にしたシリーズは大変よく売れ、舞台化される。そこでクロディーヌを演じたポレールという女優(写真からでもひと目見れば忘れられないエキセントリックな魅力がわかる)と親しくなるが、ムッシュー・ウィリーはポレールのショートカットにならってコレットの長い髪を切らせ、二人に揃いの服を着せて連れ歩くことを好むようになる。「ぼくが自分の娘二人をつれあるいているように見える(176頁)」のを楽しんでいたようだが、つれあるかれる二人としてはたまったものではない。
 やがてコレット夫妻のアパートメントの階上のアトリエ、夫婦の部屋ではなくコレットと愛猫のスペースには友人たち、とくに男友達が集まるようになる。夫はこれを快く思わない。半監禁の生活から逃げ出したいと内心思っていたコレットではあるが、先に別居を申し渡したのは夫の方であった。しかし別居後もコレットには引き続き原稿を依頼していたというのが不思議に思われるが、夫婦のことは結局ふたりにしか分からないということなのだろうか。

 

長い人生の十年くらいは、こせこせと勘定しないほうがよい――わたしは気前よく、さらに三年おまけしてしまった――問題の十年を、青春時代から天引きして考えればすむことだ。そのあとは、むしろ締まり屋になることが望ましい。(217頁)

 執筆当時はすでに時間が経過していたせいもあるだろうが、愛憎に関してはひとまず脇に置いて、相手と自分を見る目は突き放されたものだ。さらに、彼女の交友関係については夫にかなり厳しく制限されていたようだが、それでも幾人もの友人(なぜかその多くが自殺を遂げているのだが)が一瞬の光芒のように彼らの人生を横切っていった様子が鮮やかに描かれ、不思議な結婚生活の中でもコレットの独自の世界が形作られていたことがうかがえる。